スワンプマンという思考実験から『あなた』は何をもって『あなた』なのかを問う
スワンプマンという思考実験を、ご存知でしょうか。『あなた』は何をもって『あなた』なのかを問う、非常に興味深い実験です。今回は、視点を変えながら、人の本質に迫ります。
▪️スワンプマンの概略
あなたは死んだ!
あなたは沼を訪れていたが、突然雷があなたに直撃! あなたは死んでしまったのだ。
だが、そのとき不思議なことが起こった!
雷による衝撃・高熱・電流が、あなたの足元の沼の泥に作用し……雷に撃たれる寸前のあなたと分子レベルで寸分違わぬ、「新しいあなた」がそこに生み出されていた。
つまり、あなたは死から復活した! ブラボー!おお・・・ブラボー!!
復活したあなたは、先程までのあなたと全く同じ脳の状態を持つので、ちゃんとあなたの人格・記憶も復活している。そして、今後もそれまでと同じようにあなたの人生を続けていくだろう。
一方、元のあなたの遺体は、復活したあなたに気づかれないままに沼に沈んでいった。
引用:ニコニコ大百科
上記の解説は、分かりやすくするため、足元の泥がスワンプマンに変化した、と改変されています。
また今回の記事では、便宜上、宗教学で扱われるようなアートマン思想、あるいは霊魂をないものとして、考えていきます。
▪️【視点をおく場所】
まずは、大げさな二元論で分断します。
・唯物論派
原子レベルで同じだから同一人物
・観念論派
連続性がなく違う心だから別人
さすがにこれだと雑過ぎるので、より詳細に定義して、視点を変えていきましょう。
▪️【連続性がある個体をオリジナルと定義】
連続性がある個体を『あなた』オリジナルと定義します。この場合スワンプマンは、オリジナルとは物質的に別の場所から発生したので、別人と言えます。
▼ スワンプマン + オリジナル
・右半身スワンプマン+左半身オリジナルと、左半身スワンプマン+右半身オリジナルの場合。
オリジナルの割合が高い方がオリジナルとするのか、両方オリジナルor両方別人、とするのかは感性にもよります。しかしその全てに連続性のあるオリジナルの記憶と細胞があるとすれば、オリジナルと言えるかもしれません。
多世界解釈で考えると、同一時間軸を共有した場合、連続性のある記憶・経験が完全に一致していれば、物質的には連続性はなくともオリジナルと言えるかもしれません。ただし一致していなければ、別次元に生きている別の人生を歩んでいる『あなた』と言えます。
▪️【オリジナルの細胞が残っている個体をオリジナルと定義】
『あなた』オリジナルの細胞が残っている個体をオリジナルと定義します。この場合スワンプマンは、細胞が完全に入れ替わっているため、別人と言えます。
ただし、人を形作っている細胞がオリジナルとも言えるため、セントラルドグマ(DNA→転写→mRNA→翻訳→タンパク質)により、細胞が完全に入れ替わるとオリジナルではなくなってしまいます。
▼そもそも、すべての細胞は入れ替わらない
炭素14の蓄積量を根拠に、細胞の入れ替わりの差異を検証したという話があります。
心筋細胞のように20歳を過ぎると年間1%しか入れ替わらず、更にその速度は遅くなります。半分は出生時のままです。
アルツハイマー、パーキンソンの治療が困難を極めるのは、大脳皮質の神経細胞が入れ替わらないという理由もあります。
歯のエナメル質に虫歯ができると自然治癒しないのもそうですね。しかしこの場合は歯科治癒によって、人口的に細胞を入れ替えることができます。
このように、人体におけるすべての細胞が、完全に入れ替わるというのは難しそうです。
心筋細胞や大脳皮質の神経細胞のように、細胞が残っていれば、唯物論的にはオリジナルと言えるかもしれません。
▪️【意図的に細胞が入れ替わった個体をオリジナルと定義】
意図的にすべての細胞が入れ替わった個体を『あなた』オリジナルと定義します。この場合スワンプマンは、雷により偶発的に発生した個体なので、別人と言えます。
▼設計図と船、DNAと人
テセウスの船のように、船の補修を行い続けて、元々の材料がなくなってしまう場合、それは元の船と言えるのかを考えます。
人体の場合の設計図はDNAですから、同様に考えることができると思います。この定義の場合は便宜上、セントラルドグマ(DNA→転写→mRNA→翻訳→タンパク質)のように、DNAどうりに代謝が行わると、すべての細胞が入れ替わると仮定します。
・船は設計図どうりに修理されます。
・人はDNAどうりに細胞が入れ替わります。
一例として、プログラム計画死(Programmed cell death)という言葉があるように、これらは意図的なものです。
▼意図的なものの別例
「どこでもドア」のような量子テレポーテションにおいて複製される際、必ず『あなた』オリジナルが破壊されます。破壊されたオリジナルは復活しないものとします。テレポートされるという、何らかの意志が介在するため、意図的な流れが存在します。
▪️【仮定してみましょう】
最後にいくつかの仮定を紹介します。
・あなたの親友、家族のスワンプマンが現れた場合
・オリジナルの細胞を持ったスワンプマンが、意図的に複数現れた場合
・この世界が壮大な仮想現実で、私達の本体は別にいる場合(シミュレーション仮説)
みなさんは上記のような場合、どのように考えますか。自分で仮定して、考えてみるのも面白いと思います。AIが進歩していき『あなた』は何をもって『あなた』なのかを問う時代へ進んでいます。
『あなた』は何をもって『あなた』なのでしょうか。
神秘体験のメカニズム①
先に私の立場をお話ししておくと、神秘体験について肯定派ではありません。
基本的に神秘体験は、幻覚・幻聴のように何らかのメカニズムで説明できます。
まずは、幻覚・幻聴を伴う代表的な病気である、統合失調症を例に挙げて、説明します。
▪️統合失調症の幻覚・幻聴
統合失調症の症状は、陽性(幻覚・幻聴・妄想など)、陰性(うつなど)、認知機能障害に大別されます。
例えば、実際にあるはずのないものが現れるのは、幻覚という陽性症状の一種です。
▼仮説と治療薬
ドーパミンの過剰分泌や、セロトニンの不足が仮説として知られているため、MARTA( D2、5‐HT2、α1、H1受容体拮抗)やSDA(D2、5-HT2受容体拮抗)が使われています。
▼現在の研究
器質的な研究では分からなかったことが多いのに対して、現在の技術により分かることが増えてきました。
CT(Computed Tomography)やMRI(Magnetic Resonance Imaging)により、対照群に比べ
・脳室が拡大している
・前頭葉、側頭葉が小さい
と指摘されました。
PET( Positron Emission Tomoaphy )、SPECT(Singlephoton Emission Omputed Tomraphy )、fMRI( functional Magnetic Resonance Imaging)
により、
・前頭葉の機能が低下している
と指摘されました。
また、PETでは、D2受容体の分布も明らかになってきています。
認知機能は前頭葉や側頭葉を中心として行われるため、統合失調症の認知機能障害の理由として 『も 』考えられます。
▼受容体と仮説
ドパミン過剰により、幻覚がおこると言われていますが、
PETで統合失調症患者の脳内のドパミン受容体を測定しても、受容体が増えているとは限らないという話があります。
他のマイナーな仮説では、NMDA受容体阻害薬により、陽性・陰性症状と似た作用がおこることから、
逆説的にNMDA受容体が影響する説もあります。(NMDA受容体の仮説については、私も最近知ったので、どれくらいの支持があるかは分かりません。)
遺伝的要因として、通常の発祥率が1%に対して、親のどちらかが統合失調症の場合、発祥率は6%となります。
このことから考えても、発達障害のような先天的要因も考えられます。私は生まれつき幻覚を見ているので、あり得ない話ではないかもしれません。個人的には、脳の持続的脱抑制によるネットワークの過剰結合も怪しいと思ってますが、私の発言にはなんの信憑性もないので、研究者の人達を応援します。
▪️神秘体験と手品
次はマジシャンの視点から、神秘体験を説明します。
一般的に神秘体験のような超常現象は
超常現象(ちょうじょうげんしょう、英語 paranormal phenomena)とは、現在までの自然科学の知見では説明できない現象のことである。
と定義されます。
神秘体験が、幻覚・幻聴だったというのは、よくある話です。しかし悪魔の証明のように神秘体験を否定するのは難しい。
しかし、基本的に世に憚る神秘体験は、
内的要因を幻覚・幻聴とするなら、
外的要因は手品のタネのような見も蓋もないものが大半だと考えます。
あるいは、今は自然科学で定義されていないだけで、神秘体験とは言えないものの可能性があります。
手品のような閉鎖的なジャンルを長くやっているという経験則から、超常現象の類が、閉鎖的なジャンルの方法論を使っている可能性が高い、と判断しています。
手品はその特性上、現象という『結果』のためなら、『過程』はなにをやっても問題ありません。そのため、不思議なことのほぼ全てが、手品で再現可能です。
CIAがユリゲラーを超能力者と定義したり、第一線の研究者がオウムに入信したりと、自分の専門外のジャンルのものをみると、簡単に騙されてしまう人はいます。
過去の記事で、このことについて詳しく解説したので、読んで頂けると幸いです。
▼記事リンク
http://hrkbb914.hatenablog.com/entry/2019/02/08/003246
▪️神秘体験について知りたいのです
私は今のところ、一般的に定義される神秘体験に出会ったことは一度もありません。ただ、「あるといいな」とは思ってます。
その一方で、神秘体験について、自分の見たいように物事を解釈しません。それでもよいという方は、神秘体験を紹介して下さると嬉しいです。論争をしたいのではなく、純粋に、ただ知りたいのです。
熱力学第二法則の「乱雑さ」を哲学的な見地で考える
皆さんが楽しむ娯楽の中でも、特に馴染み深い、熱力学第二法則における「乱雑さ」を、哲学的な見地で考えます。わたしもよく分からないので、一緒に考えていけたらと思います。
▪️第二法則の簡易解説
ΔH>0(吸熱)で自発的(変化を起こすのに仕事を必要としない)に起こる反応の方向を、指し示すのが熱力学第二法則です。
さて、自発的変化の原動力は「物質とエネルギーを乱雑に分散される傾向」であるとされています。この乱雑に分散する度合いをエントロピーと呼びます。
言い換えると、エントロピーは示量性の状態関数で、乱雑さの指標となる『関数』です。
第二法則を定量的にするため定義すると、
ΔS(エントロピー)=qrev(可逆過程において系に与えられた熱)/T(絶対温度)
また、証明は割愛しますが、
「孤立系において、自発的変化は不可逆であり、エントロピーは増大する」とも言えます。
熱力学第二法則は、有名なクラジウスの原理の他に、トムソン(ケルビン)の原理・オストワルドの原理など、様々な表現がされます。
その本質はどれも同値だと考えると、理解が進むと思います。
▪️哲学と乱雑さ
ここで哲学的な見地を取り入れ、乱雑さについて考えます。あえて熱力学の用語を、誤用しますがご理解下さい。
よくある例えとして、「部屋が勝手に汚くなることはあっても、勝手に綺麗になることはない。」ことから
・部屋が汚いのは乱雑さが高い(高ΔS)
・部屋が綺麗なのは乱雑さが低い(低ΔS)
これを熱力学第二法則とする、という表現を見たことがありますが、哲学的に吟味する必要があると考えます。
・一見部屋が汚いが、誰かにとっては意図的に整列されたものである。
のように、部屋が汚くても乱雑さが低い場合があります。
「部屋が汚いものは乱雑である」とは、人が定義したにものに過ぎません。ほとんど屁理屈のようであっても乱雑さの逆転が起こる場合、エントロピー(ΔS)の増大に寄与していない可能性があります。
▪️創作におけるエントロピー
エントロピー(entropy)は日本語で、「乱雑さ、無秩序、不確定性」と表現されます。
創作の世界では、「断熱系においてエントロピーは常に増大すると、熱的死を迎える」と言ったように、言葉自体は正しく使われることがあります(具体的な作品名は忘れました笑)。
しかしそれを宇宙まで広げると、話は難解になります。
創作のよくある話では、エネルギーを使うことでエネルギーが使えなくなり、それを復元するために、より多くのエネルギーを必要とするため、エントロピーは増大する、と表現されます。しかし、繰り返しになりますが、『使えないエネルギー』とは人が定義したものです。
また、古典物理におけるエネルギー保存の法則の見地では、誤りの可能性があります。
▪️エネルギー保存の法則について
エネルギー保存の法則とは「孤立系のエネルギーの総量は変化しない」というものです。特に熱力学においては、熱力学第一法則(ΔU = Q + W)とされます 。
かつて自発的な変化は、全てがΔH<0(発熱)と考えられてきました。前述のように、それは誤りです。熱力学第二法則は、ΔH>0(吸熱)の自発的におこる反応の方向を指し示します。
▪️わたしもよく分からない
このテーマにつきましては、更に理解が進んだら書き加えていきます。
今回このような記事を書いたのは、カルトや適当な創作のように、人の都合のいい解釈によって、学問がビジネスに使われている現状を、恐ろしいと感じたからです。
熱力学もそうですが、量子力学はあまりに悲惨です。学問は学問をするために、あるべきだと主張します。
分かりやすい話で、分かった気がしても、分かっているとは言えないことがある
分かりやすい話で分かった気がしても、分かっているとは言えないことがあります。
一昔前で言えば2chの三行文化、今で言えばTwitterのつぶやきのように、抽象化された文章 だけ しか読めないのは非常に危険です。
さて、私は実年齢のわりに、インターネットの世界では古参なのですが、過去のインターネットとは在り方が大きく変わってきていることを感じます。
特に注目したいのが、検索エンジンの尖鋭化です。Googleを筆頭に単純な検索履歴や、ブラックボックス化されたテクノロジーによって、個人に最適化された検索結果を表示できるようになりました。
これは個人が、見たくないものを見なくてもよくなったとも言えます。自分の見たいものだけを見る世界は一見よいですが、視野が狭まり情報を取捨選択する能力が下がります。ますます、ポピュ(ラ)リズム(mass opportunism)に傾いたような大衆迎合が加速され、危険だと考えます。
▪️処理流暢性(processing fluency)について
処理流暢性とは、分かりやすいもの=真実だととらえてしまうという認知メカニズムです。
最大の問題点は、対象の内容と無関係の、流暢性の高低によってバイアスがかかることです。高度に文明が発達した現代では、インテリジェンス(加工された情報)を吟味する必要があります。
▪️メディアと処理流暢性(processing fluency)
マスメディアは反権力の象徴というのは建前で、実際には処理流暢性を高めて、権力に洗脳される人間を作り出してしまうことがあります。洗脳のメカニズムについては以下の記事で解説しています。
カルトによって生じるテロリズムの思想は、便宜上、許してはいけない - スマイルドーナッツの雑記
トランプ大統領が、小学生でも分かるような簡単な言葉を使い、ラストベルト(米中西部から北東部にかけての主要産業が衰退した地域)の労働者から熱狂的な支持を得たのは、この認知メカニズムも関係していると考えられています。
私は日本の政治について、意図的にお話ししていません。それでも、大衆側も盲信している状態に陥っていないか、批判的に吟味する必要があると主張します。
▪️再帰性(reflexivity)の増大を是とすること
社会のネタバラシによって、アンソニーギデンズが主張する、社会的再帰性を増大させる事を是としたい。
近代以前は宗教的な神や儀式の時代でしたが、近代前期では実存主義に代表されるように理性の時代となりました。
近代後期では再帰性が強まりましたが、厳密に捉えると情報社会においては、上記で解説したようにインターネットが視野を狭めて、再帰性を低下させる方向に動いていると考えています。
ネタバラシによって再帰性を強めることが、バンドワゴンのように、単なる社会不安の連鎖を招くこともあります。
それでも知らぬが花より、知ってなお戦い続けることを選択する。これを是としたい。
▪️それでも
私は難しい物事の理解に、とても時間がかかります。ですから、難しいことは分からん!という気持ちは分かります。個人的には、上の主張を達成できずとも「無知の知」のように、自分が物を知らない人間だ、と言うことを出発点にできれば、大丈夫だと考えています。
あさま山荘事件・山岳ベース事件から、現代の私たちが学びとれること
今の若者は保守的な思想であるという物言いがされますが、そもそも思想なんてものではなく、単なるTwitterのBotのような自動機械的つぶやき、なのではないかという疑惑があります。
さて、若者の未熟な思想は、数多くの凶悪事件を引き起こしました。今回紹介する浅間山荘事件・山岳ベース事件も、代表的なものの1つです。
わたしも、事件を引き起こした当時の彼らと同年代ですが、若者もこの事件の本質について、知る必要があると考えます。
▪️あさま山荘事件について
簡単にいうなら、連合赤軍という過激派集団による立て籠り事件です。
巨大な鉄球で建物を破壊するなど、そのキャッチーな生中継からか、当時の視聴率は89.7%と、今では考えられない数字を叩き出しました。
(当時の動画 30 - 連合赤軍 浅間山荘事件 - 1972 - YouTube)
しかしこの事件自体は、山岳ベース事件というあまりに恐ろしい事件が、より明るみになったきっかけに過ぎないのです。
▪️山岳ベース事件について
簡単にいうなら、赤軍連合という過激派集団による、同士12人のリンチ殺人事件です。
赤軍連合は「有限実行の革命左派」と「大言壮語の赤軍派」が合わさったもので、この2つの組織の性質の相性が悲劇をもたらしました。
▪️コアとなった未熟な思想
このコアとなる思想として、「共産主義化論」が挙げられます。これは完璧なる「共産主義化」を目指すため、党内闘争を実践して、来るべき残滅戦に備えるというもの。
例えば「内なるブルジョア性」との戦いでは、ポル・ポト政権下のカンボジアを彷彿させるような、粛清が繰り広げられました。末には、組織の実質的リーダーである森の
「女はなんでブラジャーやガードルをするんや、あんなもん必要ない」という発言ように、女性・男性・性すらブルジョア性として否定されました。
▪️総括とは
目的である「共産主義化」を達成するためリンチを「総括」とし、リンチによって死ぬことを「敗北死」としました。つまりは「総括」によって「共産主義化」できずに敗北してかってに死んだから「敗北死」だろ?ということです。意味不明で殆どジョークみたいですが、若者の歪んだ思想はこれを正義としてしまったのです。
▪️事件の本質
事件の本質は実質的なリーダー(森と永田)の「保身」であると考えられています。自分の優越的立場を配慮していた彼らは、連合内部の裏切りを恐れ「総括」と称して、同士をリンチ殺人してしまいました。
「総括」がリンチであったとしても、連合赤軍の若者の、歪んだ思想の盲信からは逃れるのが難しかった。その理由の1つとして、閉鎖的な空間が聖域となって、革命の幻想に囚われてしまったことが挙げられます。
ちょうど前回挙げたいじめの記事に、その科学的なメカニズムを記載しています。
学校でおこる精神的ないじめ問題を考える - スマイルドーナッツの雑記
また、この事件のドキュメンタリー映画では、このような連続した多くの失敗は「勇気」が足りなかったから、起こったのだとまとめました。
▪️歴史を繰り返さないために
革命の実現のために人を殺し、自らの保身のために人を殺す。毛沢東、スターリン、ポル・ポトのように、どの時代でも正義のための暴力を肯定した末路は悲惨です。
閉鎖的な環境における保身や、嫉妬とコンプレックスを根底とするような未熟な思想は、現実世界とは関係ない革命の幻想を引き起こし、若者を歪んだ狂気に駆り立てました。
同じ過ちを繰り返さないためにも、私たちは学び続けなければなりません。