カルト教祖・信者の本質とサブカルチャー
■精神的な充足を求めて、カルトに足をすくわれないために
コロナ恐慌は時代の転換点であると考えておりますが、そういったコンテンツの転換期では、危険なカルトが生まれる可能性があります。
カルトを布教する人の母数は多いですが、失敗体験を積ませることで、カルトへの従属意識を高める効果も目的です。ですので、判断力が鈍ってなければ、足をすくわれる事は少ないです。しかし、教祖や幹部となりますと話は別です。
皆さんがカルト信者にならないために、今回はカルト教祖とカルト信者の本質に迫ります。また、今回の記事の根本アイデアは学者の受け売りで、言語体系と流れや考察が異なります。ご了承下さいませ。
■SFと終末思想
1950年代のSFは「真の黄金時代」と呼ばれます。冷戦や核戦争による人類の滅亡を反映した「終末もの」SF作品が多数生み出されました。
1960年代のニューウェーブSFは、SFを人間に関わる問題に対する文学的思索の手段として利用しました。またその運動が、SFと現代文学を橋渡ししたとも言えます。
日本人にも1950年代以降のSFの終末思想が、コンテンツにより根付いていると考えます。そんな中で起こったのが、1970年代以降に台頭してきた新興宗教ブームです。
当時、物質的に満たされた若者が、精神の充足を求めて入信していった側面があります。
オウムの麻原は、経典を翻訳した論理を展開しており、その知識は驚くほど深かったといえます。これは他の新興宗教団体には難しい芸当で、この献身的な有り方こそが、問題なのです。オウムの献身的な複雑性は、根元的な悩みの理由を求める若者に迎合しました。
現代の私たちから見れば、経典の身勝手な曲解は明らかですが、当時は情報も少ないため、曲解の指摘が難しかったと考えます。しかし、1980年代末期から1990年代中期の、一連のオウム事件以降、新興宗教の信者の囲い込みが難しくなります。
■宗教とサブカルチャーの共通前提
これは受け売りですが、
▼ヲタク=カルトは市民権得ることができない過剰なもの
▼マニア=既成宗教というのは市民権を得ることができるポピュリスティックなもの
という図式があります。
■宮崎事件以降のヲタクバッシング
宮﨑勤は日本のシリアルキラーで、1988年から1989年まで4人の幼女を誘拐、殺害しました。宮崎勤がヲタクであるという偏向報道からヲタクバッシングがはじまります。その市民権を得ていないゆえ、得体のしれなさが元凶です。
■新興宗教の代替物としてのアニメ
そこで台頭してきたのが、セカイ系アニメーションです。2000年初めから名付けられたセカイ系とは、主人公とヒロインを中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、世界の問題に直結する作品群のことです。
世界を救う作品は、世界中を巡らなくてはならないが、セカイ系は、主人公の周辺のコミュニティで多くが完結します。
最近で言えば新海誠監督の作品、歴史的な代表作としてはエヴァ、ハルヒ、マドマギのような系譜のアニメです。これらはオウムのような宗教的な深みがコンテンツに拡散したもので、世界や日本人の共通感覚に実装されています。
世界とは何なのかという問いは同時に、個人の根元的な悩みでもあるので、崇高で複雑性の高い答えが必要です。
セカイ系の原点である1995年のエヴァテレビシリーズは、新興宗教であぶれた、精神の充足していない若者を取り込みました。宗教の本質は根元的な悩みへの救いだと考えますが、それと同様にエヴァの自傷的な複雑性は、根元的な悩みの理由を求める人に迎合しました。また、同時期にラベリングとして、アダルトチルドレンのカミングアウトが行われたのも偶然ではないと思います。
■集団の共通感覚
集団の共通感覚を、維持するための本質を考えます。宗教やSFは共通して、答えを抽象化しているか、あえて隠す傾向があります。ですから多くの人にとっては、言語的な理解が難しいと言えます。分からないという共通の悩みに対して、複雑性の高い答えをくれるカリスマの存在が、集団の共通感覚を高めます。
余談ですが、 1960年の安保闘争、1968~1970年の学生運動の人も上の習慣で、集団の共通感覚を作っていたと考えます。
■共通感覚を高める危険性
カルトでは修行と称した達成感や、イベントに参加する未規定感を演出しています。更には現代催眠のテクニック、薬物など、様々な要素が、共通感覚をより強固にしていると考えます。
このことについては、より詳細なメカニズムを書いた過去記事がありますので、ぜひご覧くださいませ。
https://hrkbb914.hatenablog.com/entry/2019/03/04/224919
■カルト教祖に足をすくわれないために
コロナ恐慌は時代の転換点であると考えておりますが、そういったコンテンツの転換期では、新たなカルトが生まれる可能性があります。
今回の話の本質をまとめるなら、根元的な悩みから救ってくれるような、個人の悩みと世界の問題を関連付ける、崇高で複雑な教えをする団体には注意が必要です。