スマイルドーナッツの雑記

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内発性を大切にしよう(後編)

spoonというSNSで受けた質問です。

自分以外の誰からも評価されない人生をおくったとして、その人が内発的な行動をとりつづけるできるのか。また、その人は死ぬ前何を思うのか。

という質問を受けました。今回は、その回答内容を文章化したものになります。

 

今回の話は、人間の本性は基本的に善である性善説を前提としており、内発的な行動により、社会へ何らかの影響を与えるものと考えます。つまり基質的に善でない可能性があるサイコパス(反社会性人格障害)のような方は除きます。

 

①第三者から評価されない人生であっても、主観的に評価されていると感じる場合

この場合、内発的な行動をとりつづけることが可能です。アドラー心理学のように『自分が良いと思う行動』そのものを評価することで、主観的には評価されていると感じることができるからです。

「僕の羊を探して」という物語の引用ですが「自分の一生は役に立った」と死ぬ前に思えると考えます。

 

②主観的に評価されていないと感じる人生の場合

この場合の、評価されない人生というのは、評価の物差しが外発的な可能性があります。特に評価の物差しを他人に定量化されたものである場合、内発的な行動をとりつづけることは難しいです。例えば、偏差値60以上を高評価する場合、相対的に60以下を評価しないと考えてしまうことがあります。

「死ぬ瞬間の5つの後悔」という著作では、根本の原因は「自分の本心に向き合わなかったこと」にあると説きます。評価の物差しを他人に定量化されたものにすることは、自分の本心に向き合っていないと考えます。つまり後悔する可能性が高いと思います。

 

③内発的な行動をとっても、一切評価されない世の中の場合

この場合、社会が終わっていると考えます。損得のような外発的な行動だけでは世の中はまわりません。哲学者のアダム・スミスは他人の感情を心の中に写し、その感情を自分の中に起こす方向に動く「共感」の能力があると説きます。この「共感」の能力を使い行為が適切かどうか、適合性(propriety)を図ります。人間には、このような共感の先にある適合性の実感が必要です。

 

■最近の話

入試に主体性を持たせるために、主体性を定量化するという話があります。これは三島由紀夫の嫌う道徳の点数化とも言えます。

これらは中国の信用スコアや日本のジェイスコア推進と同様で、損得人間を量産してしまうと考えます。

中国がなんとかなるのは、中国はネットワークの国で国民が国を信用していないという理由も考えられます。日本は核家族ニュータウンが定着し国への依存が大きいため、定量化の問題は深刻になると考えます。

最悪の場合、スコアのために生きる人が多数派になると、人間関係のスコアが低いことが問題なるかもしれません。スコアを気にする人間関係は人間らしいと言えるのでしょうか。

サイコパスというアニメのシビュラシステムは、ある種の未来を予言しています。

▼シビュラシステム

サイマティックスキャンにより読み取った生体力場を解析し、人間の心理状態や職業適性や深層心理などを分析数値化するシステム。

サイコパスは、このシステムにより起こる問題を描いたアニメで、長期に渡るシリーズですので、それだけ多くの問題を描くことができるとも言えます。劇中でキャラクターが表現しているように、ベンサムパノプティコン(全展望監視システム)の行き渡った社会と考えます。

 

■共同体に必要な力

人はスコアのために動く、損得だけの世界で生きていくのは難しいです。損得だけの社会は、多くの人が人間不振になる可能性があります。

アダム・スミスの考えを発展させたフリードリヒ・リストは「生産諸力の理論」を唱えました。出てきた結果を価値とするのではなく、「モノやサービスを生産する力」そのものを価値とする方向性が、共同体の力になります。

全てを定量化すると、長期的な価値を見失ないます。例えば、大学における基礎研究は多くの場合、分かりやすい結果がでないので「選択と集中」では長期的に大きな成果を出すのは難しい、という指摘があります。他の例では、一見、何もできない人でも、その人の存在がセーフティーネットになります。それも大規模共同体のリスクヘッジと言えます。

 

■まとめ

繰り返しになりますが、損得のような外発的な行動だけでは世の中はまわりません。共感の能力を使い行為が適切かどうか判断し、その先にある適合性(propriety)の実感が必要です。私は、内発的な行動そのものを評価する、社会を作ることが重要だと考えます。