スマイルドーナッツの雑記

すべての人にとって、充実した 楽しい 世界を作るために

エンターテイメントとアート②

エンターテイメント業界に関わって長くなり、多くの問題を抱えた業界であると気づかされました。

私は動作優位で、多くのことを身体や映像で認知してしまう癖があり、言語表現は単純になりがちです。このため、エンターテイメント業界の問題提起は、言語表現が得意な方にお任せしたいのです。

しかし、今回掲げるエンターテイメントと芸術(Art)の問題を、業界人で訴えている人が少ないため、きっかけくらいになればと思い書き留めることにしました。

 

▪️エンターテイメント業界のパラダイムシフト(価値観の変容)

エンターテイメントと芸術の業界は非常に密接に関連しており、エンターテイメント業界が強くなることで、芸術業界にまで侵食してしまう可能性を考えます。この場合、市場原理主義が、芸術文化を破壊するのは想像できます。

更にシンギュラリティーの問題のように、加速度的にパラダイムシフト(価値観の変容)がおこることを考えます。私はエンターテイメント業界が芸術家にも大衆迎合を求め、何でもありの方向に進んでいくと考えています。とても個人的な話ですが、そのような光景を見ることが増えました。

少なくともエンターテイメントと芸術を管理する人が、エンターテイメントと芸術(Art)の線引きを理解しなければいけないことを、再確認しなければならない時代がきていると予見します。

 

▪️そもそも芸術とは

ルネサンスギリシャ時代の芸術を理想として掲げる、静的な新古典主義に対して、台頭してきたのがロマン派と写実派です。

ロマン派は、人の心に傷をつけるような、動的なものです。写実派は、ロマン派のアンチテーゼとして、ありのままのを写し出すものです。

保守と改革の戦いに対して、ナポレオン三世は、1863年にSalon of the Rejectedを開きます。

芸術を知らない民衆に芸術的な正しさ求めるこの展覧会は、多数決によるポピュ(ラ)リズムそのものである気がします。

この展覧会以降、ロマン派の技法と、写実派の方向性から、印象派が台頭します。

今まで、ルネサンスの絵画技法を使い、宗教、神話などを題材にしていたのに対して、印象派は人の生活・風景を題材としてリアルタイムの芸術を目指しました。

はたして、Salon of the Rejectedの派生としての現代美術は、本質的な芸術と言えるのでしょうか。

 

▪️ショービジネスと芸術(Art)

そもそも芸術でないのなら、芸術の考え自体がショーの妨げになりますから、割り切らなければなりません。

Recreationにおけるショーというのは、お客さんあってのもので、演者とお客さんの、みんなでつくりあげるものです。

お客さんの立場に立って、同じ目線で共感を生むことが一般的です。しかし、過度に一般化された共感のための技術は、自動機械のようにテンプレ化された演者を、大量に生み出してしまいます。

 

▪️体系化された知識の共有が単純化を招く

一時期、「寿司職人が何年も修行するのはバカ」という発言が話題になりました。今は体系化された技術を向上させるための知識が、YouTubeなどによって、ますます一般化されています。

そういう意味で、修行というのが古いというのは分かりますが、修行によって身につけることのできるものは、寿司の技術だけではないという反論もあります。

しかし私は上記の発言を、「人の思慮を深くする経験は、修行以外でも身につけることができるのだから、修行だけに拘らなくてもいい」という解釈もできると考えます。

機会費用』という経済学の考え方もありますが、修行以外で教養を身につけ、体系化された知識で寿司を握るのが、効率的であるとも言えるかもしれません。

それでも、強制的に教養を習得させる修行と違い、全ての人が業界に敬意を払い、教養を習得するとは限りません。体系化された知識の共有は、教養を無視した業界の単純化を、招く可能性があると考えます。

 

▪️問題意識を忘れない

全ての人が、芸術(Art)を理解する必要はありませんが、エンターテイメントの業界が市場原理主義によって、芸術を駆逐してしまうという問題があります。現状でも、芸術の教養を持たなくても、エンターテイメントビジネスの管理者になれてしまいます。

体系化された知識の共有などにより、ますますこれを加速させると考えます。私自身、この問題意識を忘れずに活動していこうと思います。