ロングテールの時代
ロングテールってのは、販売機会の少ない商品でも、商品や顧客の総数を増やすことで、総体としての販売総数を増やすといった手法だ。))
実はこれ、本来はインターネットを用いた物品販売の手法なんだけど、インターネットだけではなくて、あらゆる場面で用いることができる。
例えば、ロングテールの手法に則って自身の能力の数を増やすことで、自分自身の客観的な(市場)価値を効果的に上げることができる。
僕の能力を一部分だけ切り取ると、残念ながらその客観的な(市場)価値は、知名度の低さを考えると低いといえる。
だから、客観的な価値を重要視して、能力の総数を上げている個人サイトや中野ボランティアパフォーマンスチームと、主観的な価値を重要視して、僕自身の好きなことを行う創作チックなパフォーマンスやこのブログなどを抱き合わせることで、価値の向上を図っている。相性が悪いのか、実際には全然うまくいってないが笑
インターネットが流通していない時代、イチローの様に1つのものを極めたスペシャリストが、特に注目されて価値が高かった。
人間の時間は有限だから、1つのものを極める選択をすると、その分他のことを諦める選択をしなければならない。それではあまりにもリスクが高い。
スマートフォンの普及により、これから更にロングテールの時代は加速していくと思う。そんな時、複数の能力をそこそこ極めたジェネラリストが注目される時がくれば、組み合わせにより、多様な価値が生まれるかも知れない。
時間をかけたものの価値が高いとは限らない
物の価値には主観的な価値と客観的な価値があるが、今回は客観的な価値にスポットを当ててお話したい。主観的な価値については、また後日。
時間をかけたものの価値が高いとは限らない。
なーにを当たり前のこと言ってんだって思うかもしれないけど、勘違いする人はそれなりにいる。
人は自分が時間をかけたものに対して愛着が湧くようにできてる。だから勘違いするのも仕方がない。
これは僕のエピソードだが。
大道芸の技で習得に1年かかる技があった。
周りのやつがそれくらいの技はできなきゃ現場ではダメと言っていたので習得してみた。
しかし実際の現場では習得に1分とかからない技の方が人気だった。
このエピソードで重要なことは2つ。
・時間をかけたものが必ずしもいいものとは限らない。
・多くの人が目標とするものは相対的に比較されやすい。
この2点について気がつかなかったから、僕は多くの時間を浪費してしまった。人間の時間は有限だから、なるべく価値の高いことに時間を使いたいものだ。
んじゃ価値の高いものってのはなんだよ。僕なりの見解としては
・供給より需要が高い状態が続く可能性が高い。
・相対的に比較されにくい(真似されにくい)状態が続く可能性が高い。
・革新的、新規性(先行技術のものではない)。
ここら辺抑えとけば多くのジャンルで価値の高いものを築けるんじゃないかと思う。僕はまだできてないけど。まあ難しいよね。
僕は盲目的に、価値の低いものへ時間をかけて、後悔することがあった。一度、客観的な価値について考えることで、自分が時間をかけるべき対象が見つかるかもしれない。
AI時代は人が人らしく生きることができる時代
AI時代は人が人らしく生きることができる時代
になるんじゃないかなって話。
よくAIに奪われる仕事とかやってるけど、奪うっていうと否定的な言葉のイメージだから、拒否反応示す人も出てくるんだろうな。実際には置き換わるってのが、的確な表現な気がする。
文明の利器の発達で、掃除洗濯とかの家事が格段に楽になったように、これからはAIを使いこなすことで仕事を楽にしようってなりません?
楽になった分は、機械にはできない、人が人らしくできることをやればいい。
機械にできることだけをやってきた人にとっては大変だろうね。でも、そんな人ほとんどいないんじゃないかな。
人が人らしくできることってのは、人同士の繋がりだったり、コミュニケーションだったり、そんなとこか。
実は、機械にできてかつ人との繋がりが希薄なものの価値は、今後なくなると確信して、僕は人にしかできないことを意識的に選択して続けている。
例えば、将棋のAIは人に勝てるようになってきたけど、結局価値が高いのは人同士の将棋だ。もっと言えば短距離世界一のボルトだって、有象無象の自動車にも勝てないが、価値が高いのは人の世界一である。
なんだかんだ、機械にできることでも、人との繋がりが密接なものの価値はなくならないのだ。
僕は人にしかできないことを、今後も続けていこうと思う。また、人との繋がりを大事にしていきたい。
人が人らしく生きることができる時代、未来は雑多な色に満ちている。