超能力の存在について、マジシャンの視点で語ります
74年のユリゲラー来日による超能力ブームでは、スプーン曲げに没頭する若者が現れた。
(やり方さえ分かれば誰でも曲げられるものであって、曲がらないスプーンを私は知らない笑)
80年代バブル期の新興宗教ブームでは、オウムの空中浮遊や神通力に憧れ、入信する若者が現れた。
超能力というのは人生を狂わせるほどの魅力があります。かくいう私も20年前くらいに、超能力風な手品の魅力にとりつかれて、今では職業の1つとしてマジシャンをやっているほどです。
今回はマジシャンである私の視点で、超能力の存在についてお話しします。
■超能力の定義
一般的に超能力は、科学で説明できないことを実現できる特殊な能力を指します。超心理学では、ESP(ExtraSensoryPerception)とPK(サイコキネシス)の2つが定義されています。この2つの定義は超心理学だけではなくマジック業界など、さまざまなな領域に広がりを見せています。
▪️メンタルマジックと超能力
タネをばらさず超能力であると説明すれば超能力になりますし、手品であるといえば、手品になります。
また、原理を分からずメンタルマジックが成功すれば、自分が超能力者であると勘違いすることもあるかもしれません。
このような方は心理学者の間で、シャット・アイと呼ばれています。シャット・アイは科学の進んでいない時代では、ありふれていたと考えられます。
世の中にメンタルマジックが存在せず、その原理も未知のままである場合は、メンタルマジックであったものが、超能力と定義できたかもしれません。
少なくとも、一般的な超能力の定義とは時代や環境などに簡単に左右される曖昧なものです。
▪️ESPらしきことは可能
コミュニケーションにおいてメラビアンの法則のように、半分以上は視覚情報であることを考えると、目の動き一つをとっても相手が感覚的に何を考えているのか、推し量る材料となり得ます。
例えば、EBM(根拠に基づく医療)でも、EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)のように眼球運動による脱感作は認められているし、眼球運動が行動心理において、重要な根拠となりえることは事実です。
このように、一見ESPと疑われるようなことは可能なのです。
▪️現状ESPが疑われる研究
森林浴で気持ちいいのは、フェノール類の影響と考えられてきましたが、最近の研究では非可聴域の周波が影響を与えていることが分かってきました。
20~20000Hz以上は非可聴域ですが、これらは人間の聴覚以外で受け止められており、気持ちよさに影響を与えているという仮説があります。
現状の科学では解明できていないことを考えるとこれが、超能力におけるESPといえるかもしれません。解明された瞬間に、超能力ではなくなるかもしれませんが、、
▪️超能力はあるかもしれない、しかし
科学における再現性を重要視する文化が、超能力を、雲隠れさせているという話もあります。実際、研究論文においても再現性に乏しいものは少なくありません。
実は常識や原理、根拠、人知、全てを超越した力があるのではないか?(日本語おかしいですが笑)と想像した方が楽しいかもしれません。
しかしそういった魅力を利用して、多くの人を不幸にする超能力ビジネスが蔓延る現状は悲しいものです。超能力と名前がついてないだけで、神通力、量子、引き寄せ、などに擬態していることもあります。(もちろん、神通力、量子、引き寄せを真剣に取り扱っているところもあります。)
雑な物言いをしますが、人を騙しても人を笑顔にできるのはマジシャンくらいなもんだと考えてます笑。超能力という言葉を使って、人を不幸にするやつらを許してはいけません。
AIと人の心の関係性を考えるということ
黒人には人の心が宿っていないという理由で、黒人差別がおこなわれた過去もあります。アメリカ社会でトランプが当選したのにも、そう言った差別思想の名残が影響を与えたことも考えられます。
私たちは人の心のありかたについて、考えざるを得ない時代がきていると予見します。
AIについて考えることは、人の心について考えることにも繋がります。まずは チューニングテスト・中国語の部屋という2つの思考実験から、人の心とはなんなのかを紐解いていこうと思います。
■チューニングテストと中国語の部屋の概説
▼チューニングテストとは
・検証
AI(機械)が本物の人間と大差ないほどに会話できるかのテストを行う
・結果
人間がAIと人間を判別できない場合、機械は思考をしていると判別する。
▼中国語の部屋とは
・中国語の部屋の中
中国語のわからない人+中国語カードの入った箱と中国語カード完全対応マニュアル
・検証
部屋の外から中国語の質問を受け取り、中国語カード完全対応マニュアルに従い、部屋の外に中国語のカードを返す。
・結果
中国語がわからないにもかかわらず、中国語によるコミュニケーションを成立させており、部屋の外からは中国語のわからない人が、中国語を理解しているように見える。
知ってる人は多いので、かなり簡潔に書きましたが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
▪️クオリアと思考実験
クオリアという言葉は有名なので、ご存知の方も多いと思います。クオリアとは、意識に含まれる質感のようなもので、大変抽象度が高い概念です。今回は便宜上、意識の様なものだと定義します。
チューニングテスト→機械やAIにもクオリアはある。
中国語の部屋→チューニングテストでは、AI(機械)にクオリアがあると証明できない。
多くの方は、部屋全体が中国語を理解してるといえると考えます。器質的な学問領域でも、クオリアの生じ方が解明されていないので、部屋全体=人の脳と考えがちです。
しかし意味論的な見地では、中国語をわからない人が、中国語カード完全対応マニュアルを使っても、中国語を理解しているとは言えません。理解の段階で、クオリアが生じているとすれば、部屋全体にはクオリアが生じていないと考えます。
▪️情報と人の心
人はそもそもなぜ意識を獲得したのか。そこで情報処理になぜ心が必要なのかを考えます。
人はAIのような単純暗記(意味記憶)から、情報を引き出すことが苦手です。そこで物事をストーリーとして記憶するエピソード記憶がありますが、これを作り出すために意識が作り出されたのではないかと考える仮説があります。(受動意識仮説)
エピソード記憶には感情によるラベル付けがされます。情報処理上なんらかのメリットがあれば、AIにも心が宿る可能性が考えられます。(現実では可能性が低いとする学説もあります。)
▪️AI時代で人の心のあり方はどうなっていくのか
現状、宗教でしかなしえなかった人の心のあり方を、科学が解明することができるのでしょうか。解明できたとしても、そういった唯物的な理論はそう簡単に受け入れられることはないでしょう。
私たちの全てが情報処理の演算で説明できるとしたら、生まれ変わり(輪廻転生)というのも、釈迦がしたように簡単に否定されてしまうかもしれません。
今の自分自身を規定しているのは、可能性ではなく不可能性です。多くの人が何ものにもなれないことを認めざるを得ない時代は、今よりも薄暗いと思います。だからこそ、AIが多くの人を救うことになるよう、みなさんも一緒にAIと人の心について考えていきましょう。
ロボトミーという悪魔の手術から、現在の脳と科学のありかたを考える
ロボトミーという手術をご存知でしょうか。
なんだか、人間をロボットのようにしてしまうというイメージもありますが、ラテン語で前頭葉を意味するLOBOと切るを意味するTOMYを、組み合わせたものです。
▪️ロボトミーの始まり
精神科医のエガスモニスはチンパンジーの前頭葉を切ると凶暴性がおさまるという実験から、前頭葉と視床をつなぐ神経線維の束(白質)を破壊する手術を着想しました。その後は、白質にアルコールを注射する方法、更には、白質をメスで切断する方法と改良されました。
当時から、様々な副作用が報告されていましたが、精神病が外科手術で治るということが注目されました。多くの方がデメリットに対して盲目になってしまったのですね、、
▪️ロボトミーの普及
精神科医のフリーマンは、実験レベルのものを標準化してロボトミーと命名し、積極的に手術を広めました。
その後、改良型ロボトミーを考案。電気ショックにより意識を飛ばし、瞼の下から頭蓋骨の薄い部分に、ハンマーでアイスピックを差し込み、そこから前頭葉を破壊するというものです。(なんかヤバくない?)僅か10分足らずの手術になるとこともあったといいます。
その後、エガスモニスがノーベル生理学医学賞を受賞し、ロボトミーは急速に広まりました。
▪️ロボトミー衰退の始まり
しかし、退院後の副作用・合併症や、矯正を目的にした同性愛者や犯罪者への手術など、問題が起こります。それらの実態は小説「カッコーの巣の上で」で告発され、更には映画化されました。
これをきっかけに、人間性を失うほどの合併症を引き起こす、ロボトミーの恐ろしさが広まることになります。
▪️クロルプロマジンの登場
D2遮断薬クロルプロマジンの登場によって、代替が可能であることが分かると、ロボトミーは急速に廃れることになります。クロルプロマジンは、現在では精神病治療薬の換算の基準として用いられています。
▪️精神医療の現状
現在の精神医療は、客観的な診断基準により診断されますが、科学的かと言われるとまだ発展途上だと考えます。
内科のように血液検索やCTなど、ある程度の診断がはっきりするものが多いのに比べ、精神科の脳波やCTは、他の病気と区別をつけるための鑑別診断です。そのため基本的には問診になります。
▪️最近の話
欧米の神経外科では、電気的あるいは磁気的刺激をおこなうことにより治療する脳深部刺激法(Deep Brain Stimulation)へと進歩しています。
また、科学の進歩により、脳への器質的なアプローチもなされています。例えば脳に電極を埋め込み、反応を試みる実験も進行しています。しかし倫理上、実験のためだけに、脳に電極を埋め込むことができないため、データを取るのに時間がかかってしまいます。
▪️どれだけデータを取るのに時間がかかっても
科学は良い悪いではなく、進歩を目的とすることがあります。脳というのは、人の本質を担う特別な器官です。カウンセラー的な言い方をするなら、心といえるかもしれません。
ここで功利主義の考えを判断に加えて考えてみます。分子生物学の発展によりゲノム編集が問題とされていますが、ロボトミーのような悲劇を防ぐには、ゲノム編集と同様に脳についても、人間の尊厳に対して慎重になる必要があると考えます。たとえ回り道をすることになったのだとしても。
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ストレスケアとテクノロジーの進歩
■ストレスとは
ストレスは元々、物理用語で物体の外部から、かけられた力によって歪んだ状態のことをいいます。
stress(ひずみ)=F/A
F=力[N]
A=断面積[m²]
外部からかけられた力であるストレスの原因をストレッサーと呼びます。
ストレッサーで特に多いのが、
・環境の変化
・人間関係
の2つと考えられています。
ストレスは本来、外敵など、命の危機に瀕したときに回避するため、備わっている能力です。しかし、人間は進化の過程で、前頭前野を発達させコミュニケーション能力を高めた結果、新たな原因であるストレッサーを作り出してしまいました。
ストレッサーは人間として生きていくにはどうやっても避けられません。たくさんのストレッサーによって生じた歪は、もとに戻りにくくなることもあります。これをストレス状態と呼びます。
■ストレス状態の弊害
このストレス状態によって、扁桃体の過剰反応によるストレス増大、ストレスによる海馬の機能の低下、脳のフィルタリング機能の低下に至ることがあります。
また、そこからうつ病・不安障害などの精神疾患や、PTSDなどのトラウマ障害に、罹患してしまう可能性があります。
■ユーストレス欠乏症について
PSYCHO-PASSというSFアニメの架空の病名で、ユーストレス欠乏症というものがあります。進行すると脳梗塞など、深刻な経過をたどると劇中では言われていました。
ストレスケアのしすぎで、かえってストレス耐性が低くなることが原因です。ユーストレス(いきるために必要なよいストレス)が足りないことは、生きる張り合いがないことも意味します。
しかし実際には、ストレスが多いと悪いことは多い。ストレスは大脳皮質前頭前夜と扁桃体の樹上突起を変化させ、かえってストレスに弱くなることもあります。
通常ストレスは、コルチゾールなどのホルモン分泌の流れのように生物学的な知見で語られることが多い。ユーストレス欠乏症は、ユー(よい)ストレスとディ(悪い)ストレスのように、外部からくるストレスにも種類がある可能性を示唆していると考えます。
■ストレスマネジメントの複雑化
ストレッサーは上記のように環境の変化と人間関係の比重が大きい。
自分がどういう環境の変化に弱く、強いのか
自分がどういう人間関係に弱く、強いのか
そういったストレスマネジメントをすることが、仕事、勉強、趣味の本質となりえます。しかしテクノロジーの進歩により、ユーストレス欠乏症とまでいかずともストレスマネジメントも複雑化していくと考えます。
私見ですが、人間のストレスにおけるポテンシャルが、テクノロジーの進歩についていけてないように感じます。大変な時代になりました。
甘えているのは誰だ?
▪️前書き
そもそも国民である時点で、人は何かしら他人に「甘え」ているものですが、
今回は「他人を非難するための言葉としての甘え」について、思うことがあったので書きます。
「障害は甘え」
という物言いは過激で、避難されることはあるだろう。
「もっと辛い人がいるんだから甘えるな」
「みんな辛いんだから甘えるな」
という物言いをする人もいる。
実は「障害は甘え」のような過激な発言と、本質的には近いこともあると、留意する必要があると考える。
「心」なんてものが存在しないように、甘えもまた抽象度の高い概念だ。障害という言葉も、社会とのマッチングが悪い場合、線引きされるもので、抽象度が高い。
▪️定型発達症候群というジョーク
定型発達症候群というジョークがある。
例えば、協調性が高いことは多様性の面で危険である。
定型という線引きの上の存在が、社会構造に大きく関与しているため、非定型という線引きの下の存在が生まれていることも忘れないで欲しい。
つまり「~は甘え」と発言している側の人が定義する「甘え」は、「~は甘え」と発言している側が作り出している可能性がある。
▪️「甘えるな」がただの八つ当たりである可能性
辛さの定量化が難しいという科学的な前提も考慮に入れず「甘え」と言うのなら、それは弱者への八つ当たりである。
▪️八つ当たりをなくすのは難しい
そもそもこうした八つ当たりをなくすのは難しい。それは八つ当たりも含めた、いじめが人間のシステムであるからだ。
「みんな辛いんだから甘えるな」
という言葉が示すように、日本は同質社会であり、いじめという現象が発生しやすい。
▼ドーパミン仮説
幸せホルモンと言われる。いじめ加害者にとって
出る杭を打つのは正しい行為であり、正しい行為をするとドーパミンが出る。
▼オキシトシン仮説
愛情ホルモンと言われる。仲間意識を強めるが、
その分、排他的になってしまう。
▼セロトニン仮説
安心ホルモンと言われる。不足するとリスク回避により、同調性が強まる。特に日本人は不足しがち。
▪️集団にはホメオスタシスが働く
科学が、甘えやいじめの正体を暴くことがあっても、集団にはホメオスタシス(生体恒常性)が働き、更新が妨げられる。人間のシステムに抗うのは難しい。
▪️「かけがえのないサンドバッグ」になってないか
かけがえのないサンドバッグとして生きることに喜びを感じるのならよいが、無知ゆえの無自覚は気の毒だ。あなたは本当に甘えていますか?
▪️最後に
「~は甘えるな」という発言をする人が、相手の立場を俯瞰して考えようとせず、八つ当たりをしているだけと判断したなら、壊れる前にすぐさま逃げるべきだと思う。壊れた人間は叩いても治らない。
そもそもその甘えは、何によって作り出されたものなのか。前述のように、「甘えるな」と発言している側の人が作り出している可能性もある。自己責任という単純合理に陥る前に、一歩立ち止まって考えてみませんか?