人に投資をすることのすすめ
他人を変えることは難しいので、
他人に期待しても、あんまりいいことはない。
他人に期待するから、がっかりする、失望する、ストレスだ。
他人に期待しなければ、がっかりしない、失望しないし、ストレスも受けにくくなる。いいことづくめだ。
だから僕は自分の能力と物に力を入れてきたが、期待をしないなら人に投資することもよいと思うようになった。みなさんにも人に投資することで、助け合える関係性を増やすことをお勧めします。
お金をかけるのもよいし、教育という投資でもいい、食事でおごるのも投資と考えられる。
いくら投資をしても、恩着せがましい人間からは人は離れていく。『あなたのためにしてあげたんだから感謝しなさい』ほど美しくない言葉はなかなか見つからないだろう。
期待をしないというのは、見返りも求めないということだ。そういう、ラフな関係性が人を引き寄せる。
人間は読んで字のごとく、支えあって生きている。なんだかんだ、一人では生きていけないのだから、助け合える関係性は多いほど良い。
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ちなみに僕は下の世代の、メンタル面も含めた技術指導という投資に力を入れている。現状では芽が出なくとも、後のことを考えると、膨れ上がる個人の価値に投資するのは合理的だ。
昨今の日本では、まだまだ貯金をすることがよしとされる風潮があるが、経済的にも、人間の関係性という観点からも、リスク分散の観点からも、人に投資をしていくことを、よしとすべき風潮を作っていかなければならないと思う。
1万時間かける対象は、しっかり考えて選んだほうがよいのでは
1万時間の法則って知ってます?
結構有名な法則なんですが、1万時間やればその道のエキスパートになれるだとかなんだとか。
僕はこの法則を知る前から、好きなことには打ち込むタイプだったので、様々な能力を持っています。しかしながら、多くの時間をかけてもその道のエキスパートにはなれなかったことのほうが多いです。実際、1万時間かけたところでそこそこどまりの人は多い。
時間をかけてしまったことによる後悔。苦い過去です。
格言っぽく『その道のエキスパートになるには1万時間打ち込むこと』と、1万時間の法則の解説をすれば、それなりに納得しちゃう人もいるかもしれません。打ち込んでいる人が、打ち込むことを肯定されれば、妄信してしまう人もいるかも。
そもそも1万時間かけても、打ち込むものによってはエキスパートはおろか、そこそこにすら到達できないこともある。最悪、打ち込んだ意味すら、なくなってしまうこともあるのではないか。
僕のような苦い失敗をしないためにはどうすればよいのか。列挙。
■自分に向いてることを選ぶ
人は自分の弱みよりも、強みを生かすことで最大の能力を発揮するらしい。自分の才能に自覚的になること。ストレングスファインダーとか有名なので、そうゆうのやってもいい。(回しものじゃないですよ笑)
■相対的に比較されにくいものを選ぶ
本気でやってる人が多いジャンルは、競争が大変。1万時間程度じゃそこそこにすら到達できない可能性がある。革新的、新規性の高い(先行技術のものでない)ものほど、打ち込んだとき、客観的な価値が高まる。
■需要がある、作れるものを選ぶ
自己満足ならいらないけど、たいていの人は承認欲求があるから、認められたいものだと思う。
■歴史を学ぶ、未来を予測する
賢者は歴史に学ぶので(愚か者は経験に学ぶってのは状況による)。歴史から、未来を予測し、選択する。
■人にしかできないことを選ぶ
AIのシンギュラリティー(技術的特異点)によって、今まで人にしかできなかったことが、AIに代替されるようになる可能性が高い。今まで打ち込んだものが、そもそも無意味になることもある。
1万時間をかけて、その道のエキスパートになることを、良しとされることが多いのは、現代の教育がスペシャリスト育成に力を入れてきたことに、関係があるような気がします。
状況によるので、断定はできないが、エキスパートになれる人は少ない。これからの時代は、リスク回避の観点から、盲目的に時間をかけるのをよしとするのは危険であると思うのです。
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たまには宣伝でも。
僕は人の反応を分析するのが好きなのですが、ことパフォーマーにおいて言うならば、3日くらい必要な練習をしていただければ、最低限の必要な技術を身につけられると考えました。
この分析もAIのディープラーニングで代替されると思うので、価値はなくなると思いますが、3日でパフォーマー名乗れます!パフォーマーに資格はないので、名乗ったもん勝ちですよええ笑
パフォーマーになりたい方いらっしゃいましたら趣味でプロデュースするので、興味がある方は連絡下さい!まあ趣味なので暇なとき限定で、、
勉強、練習、仕事 やってるふりをする人の気持ち
以前より成果主義が重んじられるようになり、勉強、練習、仕事 をやってるふりをしている人がたたかれるようになってきたように感じる。
僕にもやってるふりをしていた時期があった。(親が見てる時だけ勉強みたいな笑)
成果主義自体は、社会のために推すべきだと思うけど、やってるふりをしている人が、たたかれているのは耳が痛い。
どこを見ても、やってるふりをしているorいた人の主張が少ない!ので!
今回は仕方なくやってるふりをしてしまっている人に焦点を当てて、お話します。
※プロセス重視の場所で、戦略的にやってるふりをしている人は除く。
やってるふりをしている人に対して、腹を立てる人もいる。人は分からないことを不安に感じ、ショックを受けるものだ。(防衛機制)そもそもなんでそんな事をするのか、考えられることを列挙していきます。
■環境
家庭、学校、職場で、結果よりも手段(努力)を見せることが重要視された
■そもそも
対象が嫌い、興味がわかない、向いてない、やる気が出ない、やりたくない、自信がない
■それでも
怒られるのが怖い、ほかに逃げ場がない、認められたい、嫌われたくない
→結局人間関係
こうして思考停止に陥って、八方ふさがりになる。やってるふりとかいう意味不明なことをしだすのだ。解決策はないのか。基本的にはない!が、一応。
■プロセス重視の考え方の恐ろしさを教える
そもそも努力すること、我慢することそのものが重要だと思ってる人には効果的。やってるふりをする事が、あらゆる面で不利益を被る可能性が高いことの説明。あくまでも結果が目的なのであって、プロセスという手段を目的だと勘違いさせないようにする。
■実は逃げたっていいことを教える
思考停止で八方ふさがりになってしまっている人には効果的。実は逃げたっていいことの説明。いまは勝てない相手だから、とりあえず逃げて、逃げた先で戦ってみる。強い敵にはいずれ勝てればいい。
■失敗から学ぶことの大切さを教える
失敗を恐れて、いろいろごまかしてる人には効果的。失敗したっていい、失敗せずに成長することはないことを教える。
■放っておく
まあ基本的にはこれしかない。そのうち勝手に土俵から消えるので、別の場所で活躍していただくことを祈る。
自分で言うのもなんですが、やってるふりをしてる人って辛いんです。気の毒なんですよ。
だからこそ、やってるふりを良しとしてはいけないのです。
色々悩みはあるかもしれないが、全然気にしなくていいんです!
『他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる。』
って心理学者の発言を思い出す。まあ今回の記事には、ほとんど関係ないんですけど。
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わたくしはスーパーおっせかいな、おじさんなので、他人に干渉しまくるときがある。
あらゆる場面で聞かれてもないのに、社会が作り出した価値観による悩みを『気にしなくていい』と主張している。
嫌われてでも主張したい『気にしなくていい』ことは、意外と社会では気にされている。大抵のことは歴史を見ると、気にされている理由がわかるのですが、それでも気にする人が多いのは、目先の情報に振り回されてる人が多いからなのか。
いくつか挙げさせてください。
■変えるのが難しい悩み
チビデブハゲブサイクとか、持って生まれた才能。厳密には頑張れば変えられるけど、果たしてそこまでする価値はあるのか。頑張って変えても、変えたことを否定する人はなんなのか。そもそも社会が重要だと錯覚させているだけではないのか。
■他人と比較したうえでの幸せ
家車、学力能力仕事の成果、ちょっと変えるのが難しい悩みと、かぶってるけど、そういう他人と比較したうえでの幸せでは、満たされることはないそうだ。これも実は社会が重要だと錯覚させているだけではないのか。
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日進月歩でテクノロジーは進歩して、情報にまみれることで、社会の洗脳から解け始めている人が増えている。昔と比べて、意図的に流行や文化を作り出すことが難しくなった。今後は、細かな価値観を自分で選択する時代がくるかもしれない。
そうなってくると、今まで社会が作り出した価値観なんてのはどうでもよくなる。僕は社会が作り出した価値観による悩みを『気にしなくていい』と主張してきたが、今の悩みは、将来、自動的に気にしなくなる時代が来る。
以前、こんな記事を書いたが、人が人らしく生きることが、できる時代が来たとき、今までの価値観はどうなるのか。
実のところ、AI時代は、人である必要もないかもしれない。努力とか才能とか、そういったものはどうでもよくなる。どれだけ優れた人間でも、替えが見つかるからだ。
時代の変化は加速していくが、人間の悩みは尽きないだろう。
僕はどんな時代が来ても、どんな悩みに対しても、『全然気にしなくていいんです!』といえる、スーパーおっせかいな、おじさんでいつづけたいと思う。今のところは。
趣味を嗜んでいても、その業界には身を置かないという選択
今回は、特定の排他的な趣味の業界の話をします。
趣味の業界にどっぷりと身を置いた後に、その業界から離れると、業界独自の価値観にとらわれていた時間が、勿体ないと思ってしまうことはありませんか?
趣味の業界の価値観は、たいていの場合、各々の業界の発言力が強い人達によって自然と作られるものだ。
それは発言力の強い人にとって有利な価値観なので、個人的には大多数の人間が従う必要はないと思う。
ただ人間は何かに縋りつきたくなるもので、大多数の人間が、作られた価値観に従ってしまう。何より恐ろしいのは、発言力が強い人の価値観だけが正義だと思い込んでしまう人の多いこと。
でもね、それらの価値観は、業界と関係ない第三者の目線で見ると、面白いこともありますが、呆れるくらいどうでもいいことも多いのですよ。第三者から見てどうでもいいことなら、いくら業界内では多数派の価値観であろうと、面倒なことは従いたくないものです。
同調圧力はできるだけ避けたいもの。発言力の弱い人が、各々の業界で生きていくには『郷に入っては郷に従う』ことなしに、円滑な人間関係を築き上げるのは難しい。ただ、我慢して従うくらいなら、関らない方が有意義な気がします。
上の記事では、視野を広げることの重要性を書きました。理想論ですが、もっと多くの人に視野を広げてもらいたいという願いがあります。
視野を広げることができないために、多様な価値観を認められないのは問題だと思いますが、視野を広げた結果、多様な価値観を認めないという価値観はありです。人生の中で、絶対の価値観を手に入れた人もいるでしょう。
趣味の業界は、多様な価値観を認められない人や認めない人が多い。いくらありとは言っても、僕はそんなところに居心地の悪さを感じます。
わざわざ居心地の悪い場所にいる必要はないので、相性が悪い場合、本気で趣味を嗜んでいても、その業界には身を置かないという選択をしています。
意外と我慢している人、多いんじゃないですか?業界に身を置かなくても、趣味を続ける方法はいくらでもあります。自分で居場所を作るのも楽しいですよ。