ADHDは天才なのか②
前回のADHDの記事が人気でしたので、便宜上はADHDの天才性について語りますが、多くの方に通じる話です。
▪️ADHDを他の障害と同じフィールドで語るということ。
発達障害は器質的な判断が難しく、障害を区分するのは無理がある場合もあります。このため最近は、ASやADHD(不注意性、多動性、衝動性)を厳密に区分せず、混合型と判断されるケースが増えてきました。
この一例のように、C-PTSD(複雑性トラウマ)や気分障害などの二次障害についても、ADHDだけが原因の元ではなく、むしろC-PTSD(複雑性トラウマ)などにより、ADHD様症状が引き起こされることもあると、考える必要があります。
トラウマ(特にC-PTSD)により引き起こされた『回避、フラッシュバック、パニック、過緊張』が、ワーキングメモリーを侵食することにより、『不注意性、多動性、衝動性』といった、後天的に発達障害(ADHD)様の症状を示すことがあります。これを正式な診断名ではないですが、『発達性トラウマ障害』といいます。しかしこれだと
・発達障害により、トラウマを抱えたのか?
・トラウマにより、発達障害様の症状がでているのか?
判断は難しいと言えます。
障害や精神疾病の線引きは、大変難しいことが多いです。ADHDと、ASやLD(学習障害)などの発達障害、更にはC-PTSDや気分障害を、グラデーションとして語ることは画期的な考え方になり得ます。
■天才性と創造力
天才性を創造力と結びつけて考えます。脳の抑制機能が低下すると、ネットワークは互いに過剰結合します。これによって生み出されるのが、ある種の発達障害です。例えばこの過剰結合によって音と言語の領域が結び付くと、共感覚が生まれます。
ここで創造性を2つに分けて考えてみます。
①後天的な学習によって身に着けることができる標準的な創造性
②脳の認知的な脱抑制よっておこる創造性→
・先天的な脳の認知的な脱抑制
・後天的な外傷などによる脳の認知的な脱抑制
前者①の後天的学習によって身に着けることができる標準的な創造性は、膨大な知識や技術の裏付けと、創造のための方法論によって生み出されます。
後者②の認知的脱抑制によっておこる創造性は、無意識下における自由な連想の中で生み出されます。
同じ創造性でも、生み出されるものの性質が異なることが分かりますでしょうか?前者①が認知的な脱抑制を持続させることが難しいことを考えると、後者②は天才性が高いと言えます。
天才と馬鹿は紙一重とは、このようなことをいうのではないでしょうか?
▪️天才教育
社会が求めるハードルが上がった(あるいは変化した)ことにより、教育の改革が必要になりました。近代の日本はスペシャリスト教育でしたが、ジェネラリスト教育も必要です。
教育は、0次産業ともいえるくらい替えがきかないものであるし、最も投資しなければいけないジャンルです。
例えば、オランダの有名な学校では
・宿題なし・入学試験なし・テストなし・チャイムなし・学費無料・時間割自由
など
その代わり、
・3学年合同クラス
・日々のできごと発表するサークル
・絵を並び替えて、ストーリーを論理的に説明
などの特色がある。
実際このような自発的な教育は、一人辺りのGDPや学力をみても、効を奏しているといえます。
また、ADHDのような発達障害の場合、これらの教育との相性がいい可能性が高いです。
しかし、手放しにいいと言われてるものを、採用すればいいというわけではありません。オランダ式だって日本に合うとは限りません。教育についてはテーラーメードが絶対だと考えています。
例えば、受験競争のような全体最適性の枠に収まって、勝ち抜きレースをするのが向いてる人もいます。戸塚ヨットスクールのように体罰(進歩を目的とした有形力の行使)によって成長する人もいます。
▪️ADHDが天才性を獲得するには
天才とは、時代の交差する点に立っている人とも言えます。または単純に、社会との相性によって生み出された現象、と言えるかもしれません。
最近の研究でジャンル間の融合は、個人によって産み出されることが圧倒的に多いと分かってきました。ADHDは体系化された技術を手に入れるとことができれば、脳の認知的な脱抑制を持続させることにより、天才性を上げることができるかもしれません。
▪️わたしたちができること
全ての人は、潜在的に天才性を秘めて産まれてきます。わたしたちはそれを引っ張り上げてあげることで、多くの人が活躍できる社会の実現に、近づけることができると考えます。