人間ってのは、DNAと幼少期の環境で、大枠は決まるよな、という仮説
■最初に
人間は、DNAと幼少期の環境で、大枠は決まる。
今回は幼少期の環境に、スポットを当てて、
いくつかの説を紹介していきます。
ブログなので、無駄に大げさな表現も使いますが、
温かい感じでよろしくお願いいたします!
■幼少期のストレス
ストレス過多の環境で育った子供はどうなるのか。
慢性的なストレスにさらされると、
ことがわかっている。
扁桃体が敏感であるというのは、感情移入の能力の、高さに結びつく。
ある意味では、情緒的な人間とも言えるかもしれない。
ある研究では、記憶力に優れ、能力が高くなるとの報告もある。
しかしな。
ストレスホルモンであるコルチゾールの、
濃度が高まると、神経系を過敏にして、
不安や恐怖の記憶を強める厄介なものだ。
つまり、よくいう不安障害とかうつ病とかになりやすくなる。
病気にならなくとも、強い、不安や恐怖と戦い続ける、一生を送る可能性もある。
幼少期の教育が、人の一生を大きく左右させるのは、決定的な事実だ。
■アダルトチルドレン問題と無条件の愛
成人後も、親子関係で何らかのトラウマ(心的外傷)を背負った方のことを言います。
通常、アダルトチルドレンの原因として、虐待やネグレクト(育児放棄)が挙げられる。しかし、原因として意外と気づかれにくいのは、親から、「条件付きの愛」ばかりを受け取っていた場合だ。
「ママパパのいうことを聞くのが偉い子」→
これで子供が安心するのは難しい。
このように、子供が安心できない、状態の家庭のことを機能不全家族という。
具体的には弱い立場のものに対して、常に精神的なダメージが付きまとう
状態にあるような、欠陥を抱えた家庭のことをいう。
ただ安心がほしい。
ただ認めてほしい。
大人になってもこういうことをいう人は、無条件の愛を受け取ることができずに
自己肯定感が育まれなかった、からなのかもしれない。
無条件の愛を受け取ることができれば
子供は自信をもって外に羽ばたける可能性が高くなる。
無条件の愛があれば、それが自信の根拠になる。
一見根拠のない自信を持っている人に、こういう人は多い。
どれだけ苦しく、どれだけ辛い人生でも
いっぱいの。無条件の愛があれば
「生まれてきてよかった」
と言えるのかもしれない。
■発達性トラウマ障害とは
発達障害は定義上、先天的な特性である。
ところが最近、『発達性トラウマ障害』という、後天的に発達障害(ADHD)様の症状を示す、言葉を見かけるようになった。(現時点では正式な診断名でない)
トラウマとは、記憶が扁桃体や海馬で、適切に処理されず、意識下に残ってしまい、それが悪影響を及ぼすことをいう。
また、単発の要因(人の死やそれにかかわるできごと)や、継続的な要因(暴力、虐待、ネグレクト、いじめ)によって、
・扁桃体の過剰反応によるストレス増大
・ストレスによる海馬の機能の低下
・脳のフィルタリング機能の低下
・感覚情報が視床で乖離
が起こり、トラウマ障害である、PTSD(心的外傷後ストレス障害)が引き起こされることがある。下記に症状を示す。
・過去のトラウマと似た状況の回避
・フラッシュバック(再体験)
・パニック、過緊張、感覚麻痺
・それらが継続して続く
また、
これだけでなく上記理由や、ワーキングメモリーへ、
トラウマ回避、フラッシュバック、パニック、過緊張などが、浸食することにより、不注意性、多動性、衝動性といった、発達障害(ADHD)様の症状を示すとのことだ。
これを『発達性トラウマ障害』と呼ぶ。
発達障害と違い、環境に原因があるので、環境により、悪化させないためにも、早めにこの概念を知る必要がある。
しかし
●発達障害により、トラウマを抱えたのか?
●トラウマにより、発達障害様の症状がでているのか?
上記2つのグラデーションである場合、その分析を行う必要があると思う。
発達障害者は、トラウマを抱えやすいだけに、診断は難しい。
そのためにも、認知度を上げる必要がある。
■ストレスの感受性と仕事
人間は、DNAと環境で、だいたい決まる。
唯物的で、個人的には悲しく思うが、
根拠に再現性が重視される現代社会においては、
本質に近いと、多数の人は考えるはずだ。
以前、仕事における本質はストレスであると、書いたが、
前述のように、ストレス感受性は、偏桃体を筆頭に、
脳神経の反応で説明できる。
ストレスと現実の事象は、必ず比例するわけではなく
仕事における大変さの定量化は難しいといえる。
雑な物言いをすれば、脳神経の反応が、
人間が知覚できる、世界の本質ともいえる。
それなのに、自分の大変さと、他人の大変さを、
比較することで、雰囲気が悪くなっている光景を、目にすることがある。
ほんとは、DNAと環境で、大枠は決まっていることに
気づいてるのではないか?
「頑張れないのは、偏桃体が敏感であるせい」
「頑張れたのは、偏桃体が鈍感であるおかげ」
資本主義社会においては、この物言いが、生産性を落とすことになる。
大変さの定量化は、資本主義社会にとって都合がいいため、
便宜上、用いられているものだ。
■最後に
人間は、DNAと幼少期の環境で、大枠は決まる。
これに対する反論は、宗教、スピリチュアル、量子論など
様々な学問で、説明できるが、素人目に見て、
どれも再現性という一点においては、不完全に見える。
「電子は、見ているときは粒子だが、見ていないときは粒子ではない」
と量子力学は述べているが、
日常的でマトモな思考をする人であれば、
「見ていないときも粒子に決まっている」
と考えるだろう。
ようは、「見ていないときも粒子」なんて言うのは、
「ボクの彼女は、ボクと会っているとき、いつも清楚な人だ。
だから、ボクと会っていないときでも、清楚な人に違いない」
と言っているのと同じだということだ。
それでも何か、超越した意識のようなものが、
あることを期待してしまうのが、人間で、
そこに、人間の悲劇と可能性がある。