とらわれなくても問題ないもの(ブログ更新)にとらわれない生き方
人間は以下の2つの時のみ行動できる
・切羽詰まってやらなければならない時
・自分が納得いく理由を見つけた時
ってどっかの心理学者が言ってた。
何かにとらわれて行動するのは「切羽詰まってやらなければならない時」と思い込んでいることが多いように思う。
たいていの人間は、何かに追われて行動するのはストレスになるはず。
ストレスは本来、外敵など、命の危機に瀕したときに回避するため、備わっている能力だ。しかし、人間は進化の過程で、前頭前野を発達させコミュニケーション能力を高めた結果、新たなストレッサー(原因)を作り出してしまった。
何かに追われるといっても、命の危険を及ぼすようなものはほとんどなく、実際には自分で自分を追い込んでいることも多い。
まあそれが悪いこととは限らないけど。現代社会では、人生は辛いもんだって、色々と当たり散らしてる人が多いから、言ってるほうも、言われてるほうも、ストレスはそうとうなもんだろうと思う。そういった気の毒な状況は、改善して欲しいという願いがあります。
■ブログについて
例えばブログ。ブログ書いてない人はTwitter、インスタでもいい。
他のひとのブログとかを見てると、どうもSNSのようなコミュニケーションツールとしての側面が強く出ているように思う。こういった側面は、前述のように新たなストレッサーを生み出す。
・更新が止まったこと、しなかったことに対するわだかまり
⇒多分みんな気にしてないから、気にしなくて大丈夫。
・馴れ合いの批判
⇒馴れ合ったっていいじゃない人間だもの。
・特定の業界内(ブログ業界)のルール遵守
⇒業界のルールなんて、その業界で影響力のある人に、影響を受けてできたものが多いのだし、業界外からみたらあきれるくらいどうでもいいことは多い。
・はてなブログならスター、ブックマークの文化の理解
⇒私もよくわかってない、特に基準もないが、面白かったり、その時の気分で。
正直SNSの文化についてはよくわかっていないので、思い付くストレッサーはこんなもん。
創作っていうと言い過ぎなきもするけど、何かを生み出す行為は色々と消耗するものだ。ブログだって例外じゃない。私は全く気にしてないと言えば、嘘になるが、ただでさえ消耗するのだから、細かいことは気にせず、楽しくやればいいんじゃないかと思う。
■よく言われる、有象無象な意見ですが
『自意識過剰な人は多い、人は案外自分を見ていない』っていう使い古された言葉がある。あくまで自分本位に、やりたいことをやりたいときにやるってスタンスでいけば、ストレスはあまりかからないから、他人に期待して、当たり散らすこともなくなるかもしれない。
それでも、人は誰だって本質的に孤独だから(似たようなことをアインシュタインも言ってた)、分かり合えないこともあるかもしれない。でも、ちょっと寄り添えば解決する問題も多い。
■書きたいときに書く
楽しくやりたい人は楽しくやる。
本気でやりたい人は本気でやる。
ただでさえ、消耗する。切羽詰まってやらざるを得ないことは沢山ある。
好きにできることくらいは好きにやった方が、楽しいのではないかと思ったのです。