スマイルドーナッツの雑記

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エンターテイメントにアートは必要か

 

ロマン派の定義によると、アートとは人の心に傷を付けるものです。だからアートは、美術館のような価値の担保となる箱の中にない限り、大衆からは低い評価を下されることがあります。

大衆化によって資本主義の権化になるのは選択の一つですが、アートのような特定の個人から産み出される非典型的なアイデアを必要としないエンタメは、テクノロジーで代替可能です。

AI時代において、パフォーマーやクリエイター、ミュージシャンはアーティストの側面も持っていかないと、市場原理においては価値が下がり続けることになります。

 

▪️見巧者になるために

大衆に受け入れられるエンタメは、雛型ができており、練習して技術を身につけたら、その技術を並べかえるだけの簡単なものです。(簡単とは言いますが、長い忍耐は必要です。)それらはエンタメとしては尊いが、アートとしては価値が低いことがあります。上述で主張したように、エンタメにもアートの要素は必要になっていきます。まずは、アートでかつ価値の高いものとは何なのか、を考えていきましょう。

私が考えるアートでかつ価値の高いものは、

・本質的に代替の難しいもの

・新規性の高いもの

・生産者から見た圧倒的なこだわり

現状の見解では上記の3つが、特に重要だと考えています。

 

▼新規性の高さについて

過去の記憶から踏襲されないレベルの新規性の高さは、得体のしれないものであり、そこが不安に繋がるのではないかと推測します。

例えば、音楽において大衆によい曲とされる、典型的なコード進行やメロディラインは過去の記憶から踏襲されて、内部表現に出力され、よい曲と認知されることがあります。

不安な曲(augのような進行のことではない)とは、よい曲でないものとも言えます。

 

▼何かを楽しむのにも練習が必要

大衆に自覚はないのかもしれませんが、典型的な商業主義のお決まりパターンを、多くの人は望んでいます。比較的、大衆が新規性を求めるお笑いですら、この傾向はあります。

見巧者という言葉があるように、なにかを楽しむにも練習が必要で、空っぽの哲学的ゾンビにならないよう、精進が必要です。わたしもまだまだ未熟ですが、多分、そっちの方が楽しいです。

 

▪️あえてアートを作り込まない選択

エンタメにおいて、アートを作り込まずに観客と空間を作り上げることは、偶発性を楽しむ勇気であるとも言えます。作り込んだアートは、作者も観客も完成度を重視してしまうので、偶発性が楽しみにくい。作り込んだアートは尊いものですが、偶発性の高いエンタメもまた良いものです。もちろん、偶発性の高さが結果として、アートとなることはあります。

 

▪️アートは見える景色を変える

美術館のように、価値の担保である箱の中にあるから良いのではなく、誰から見てもアートと言える作品には力があります。それは大衆に受け入れられるものではありませんが、人の心に傷を付けて、見える景色を変えてしまうような強い力です。