スマイルドーナッツの雑記

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体罰によるどうしよもない悲劇を防ぐため、主張します

懲戒権は民法により規定されていますが、体罰の禁止の国が54ヶ国もあるように、最近は日本でも懲戒権の見直しが行われています。

皆さまは、戸塚ヨット事件をご存知でしょうか?体罰によって起こる悲劇を防ぐため、今一度体罰について考える必要があると主張します。

 

今回の記事は、子供の権利条約の扱いなどによっては、注釈を加える必要もありますが、ブログですので、読みやすさを重視させて下さい。

 

▪️懲戒権とは

虐待防止のため民法の一部改正(平成23年法律第61号、平成24年4月施行)がなされた。

▼第820条(監護及び教育の権利義務)
親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
▼第822条(懲戒)
親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

 

820条の「子の利益のため」というのが重要で、この解釈によって体罰を、進歩を目的とした有形力の行使として扱うことで、正当化することができます。

しかし現代における愛着障害PTSDなどの後遺症のように、現代の研究では、体罰が進歩に繋がらず寧ろ阻害すると結論づけているケースが多い。

子の特性に対して適切に進歩を促すことは、教育の素人には難しいことを考えると、親が「子の利益のため」体罰をするのは合理的とは言えません。このことから、理想としては体罰は時に必要ですが、法律で禁止するのはやむを得ないと考えます。

 

▪️権利とRight

懲戒権を考えるにあたり、『権利』とはそもそもなんなのかを考える必要があります。日本国憲法は、近代憲法として扱われると研究されていています。このため、基本的には、国が宛先と考えます。

しかし、西周が『Right』を『権利』と訳したことが、最大の過ちとは言われていますが、少なくとも成長の過程で勝ち取る権利と、生まれながらにして持つ権利は別物だという議論があります。

また、アメリカ独立宣言では

「We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.--That to secure these rights, Governments are instituted among Men, deriving their just powers from the consent of the governed,」

 

『Right』とは神から与えられしもので、人生、道義、幸福の追求が含まれる。しかしこれだと、自分勝手が許されるという誤解を生む可能性があります。このため福沢諭吉はこれに反対し、『Right』を『通義』と訳しました。

こちらの前提の場合、現代における権利という言葉を言い換えるなら、Rightというと道徳的な正しさや道理を思い浮かべるだろうから、権『理』がより正確だと主張します。力には理性が伴わなければならないと考えます。

しかし、この主張は近代憲法において、どれだけ適応されるかは、争点になると思います。憲法学における近代憲法の宛先は、国ですが、公務員でない教員の場合、どの程度適応されるか、私には判断できません。


▪️学校教育法第11条について

体罰に関する問題は、家庭だけでなく教育現場に関しても、合わせて考える必要があります。そこで、体罰に関係する学校教育法第11条に関して下記に示します。

 

「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」

また同法施行規則第13条では、

「懲戒を加える際には、児童生徒の心身の発達に応じるなど、教育上必要な配慮がいること」と定めています。

 

学校教育法では体罰が禁止されていますが、懲戒は可能です。その線引きが分かりにくいので、体罰、懲戒、正当行為に分けて、以下に示します。文部科学省のサイトを参考にして、私なりの解釈でまとめました。

 

体罰と判断される行為

身体に対する障害、肉体的苦痛を与えること

・例  正当防衛でない暴力、トイレ・食事の禁止、など

▼認められる懲戒

肉体的苦痛を伴わない懲戒

・例  遅刻で教室に立たせる、宿題未提出の罰としてとして居残りさせる、たち歩く生徒を叱り席につかせる、など

▼正当な行為

正当防衛のための有形力の行使、回避、あるいは正当と見なされる行為

・例  暴力行為を回避するための有形力の行使、暴れる生徒を押さえつける、など

 

戸塚ヨットスクールのように、体罰という名の進歩を目的とした有形力の行使が、必要だと考える団体は、この学校教育法の管轄外で活動していたと考えます。

 

▪️戸塚ヨットスクール脳幹論について

戸塚ヨットスクールでは、体罰が科学であることの根拠として、脳幹論を挙げています。しかし間脳の除く脳幹は情動制御に関わっていないので、トンデモな可能性があります。ちなみにローレンツ人間性の堕落を提唱しています。

 

▪️体罰は法的に禁止すべきか

体罰は進歩を目的とした有形力の行使の場合、児童との相性によっては必要となることもあります(脳幹論の根拠は薄いが、結果がでたケースもあります)。

しかし体罰自体の難易度が高く、免許があるわけではないので、体罰と虐待の区別を教育者自身ができないことは多いです。人が亡くなれば大事にはなりますが、その裏には数多くの被害者がいます。(虐待をする加害者も実は被害者であるとも言えます。悲しい話です。)

どうしよもない悲劇を見逃さないため、最低レベルに合わせて、体罰の全てを禁止することも、視野に入るのは必然です。

また、日本人は先天的にセロトニントランスポーター(5HTT)が少なく、不安になりやすい(97%)ことを考えます。これは一例ですが、他国が禁止だから日本も禁止ではなく、日本人の特性を考慮して、体罰と向き合う必要があると主張します。