スマイルドーナッツの雑記

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あさま山荘事件・山岳ベース事件から、現代の私たちが学びとれること

今の若者は保守的な思想であるという物言いがされますが、そもそも思想なんてものではなく、単なるTwitterBotのような自動機械的つぶやき、なのではないかという疑惑があります。

さて、若者の未熟な思想は、数多くの凶悪事件を引き起こしました。今回紹介する浅間山荘事件・山岳ベース事件も、代表的なものの1つです。

わたしも、事件を引き起こした当時の彼らと同年代ですが、若者もこの事件の本質について、知る必要があると考えます。

 

▪️あさま山荘事件について

簡単にいうなら、連合赤軍という過激派集団による立て籠り事件です。

巨大な鉄球で建物を破壊するなど、そのキャッチーな生中継からか、当時の視聴率は89.7%と、今では考えられない数字を叩き出しました。

(当時の動画   30 - 連合赤軍 浅間山荘事件 - 1972 - YouTube)

しかしこの事件自体は、山岳ベース事件というあまりに恐ろしい事件が、より明るみになったきっかけに過ぎないのです。

 

▪️山岳ベース事件について

簡単にいうなら、赤軍連合という過激派集団による、同士12人のリンチ殺人事件です。

赤軍連合は「有限実行の革命左派」と「大言壮語の赤軍派」が合わさったもので、この2つの組織の性質の相性が悲劇をもたらしました。

 

▪️コアとなった未熟な思想

このコアとなる思想として、「共産主義化論」が挙げられます。これは完璧なる「共産主義化」を目指すため、党内闘争を実践して、来るべき残滅戦に備えるというもの。

 

例えば「内なるブルジョア性」との戦いでは、ポル・ポト政権下のカンボジアを彷彿させるような、粛清が繰り広げられました。末には、組織の実質的リーダーである森の

「女はなんでブラジャーやガードルをするんや、あんなもん必要ない」という発言ように、女性・男性・性すらブルジョア性として否定されました。

 

▪️総括とは

目的である「共産主義化」を達成するためリンチを「総括」とし、リンチによって死ぬことを「敗北死」としました。つまりは「総括」によって「共産主義化」できずに敗北してかってに死んだから「敗北死」だろ?ということです。意味不明で殆どジョークみたいですが、若者の歪んだ思想はこれを正義としてしまったのです。

 

▪️事件の本質

事件の本質は実質的なリーダー(森と永田)の「保身」であると考えられています。自分の優越的立場を配慮していた彼らは、連合内部の裏切りを恐れ「総括」と称して、同士をリンチ殺人してしまいました。

 

「総括」がリンチであったとしても、連合赤軍の若者の、歪んだ思想の盲信からは逃れるのが難しかった。その理由の1つとして、閉鎖的な空間が聖域となって、革命の幻想に囚われてしまったことが挙げられます。

ちょうど前回挙げたいじめの記事に、その科学的なメカニズムを記載しています。

学校でおこる精神的ないじめ問題を考える - スマイルドーナッツの雑記

また、この事件のドキュメンタリー映画では、このような連続した多くの失敗は「勇気」が足りなかったから、起こったのだとまとめました。

 

▪️歴史を繰り返さないために

革命の実現のために人を殺し、自らの保身のために人を殺す。毛沢東スターリンポル・ポトのように、どの時代でも正義のための暴力を肯定した末路は悲惨です。

閉鎖的な環境における保身や、嫉妬とコンプレックスを根底とするような未熟な思想は、現実世界とは関係ない革命の幻想を引き起こし、若者を歪んだ狂気に駆り立てました。

同じ過ちを繰り返さないためにも、私たちは学び続けなければなりません。

学校でおこる精神的ないじめ問題を考える

10代自殺者の原因は学校問題が最多ですが、実際には家庭・健康問題など、様々な問題が複雑に結び付いています。

特にいじめ問題については、思春期の子供にとっては重要な問題と言えるでしょう。今回は学校の精神的ないじめ問題について、複合的に考えます。

 

▪️いじめ解決話には生存者バイアスがある。

苛めっ子に殴り返すような仕返しをすることで、苛められなくなったという成功体験を積んだ、という話を聞いたことがあります。

しかしこれは美談で、単なる生存者バイアスな可能性があります。

あらゆる手段を尽くしても、何も変わらなかったという失敗体験から、学習性無力感に陥ってしまった例もあります。

 

▪️学習性無力感とは

セリグマンの犬とも呼ばれる実験では、犬を以下の2つの部屋に、分けたところ

(実際の実験では3つですが、分かりやすさを重視するため2つとします。)

 

①電気ショックを、ボタンを押すことで止められる部屋 →電気ショックを、ボタンを押して止めるようになった

その後、電気ショックを、回避できる部屋に移動させる →電気ショックを、回避した

②電気ショックを、どうやっても回避できない部屋 →電気ショックを、受け入れるようになった

その後、電気ショックを、回避できる部屋に移動させる →電気ショックを、回避しなかった

 

これが人間にも当てはまるということです。

 

▪️いじめのシステム

「いじめられる側にも原因がある」というような単純合理はあまりに浅はかです。それでも当事者は、いじめを回避する、あるいは受け入れるため、人間のシステムを知る必要があります。

ドーパミン仮説
幸せホルモンと言われる。いじめ加害者にとって出る杭を打つのは正しい行為であり、正しい行為をするとドーパミンが出る。
オキシトシン仮説
愛情ホルモンと言われる。仲間意識を強めるが、その分、排他的になってしまう。
セロトニン仮説
安心ホルモンと言われる。不足するとリスク回避により、同調性が強まる。日本人は先天的にセロトニントランスポーター(5HTT)が少なく、不安になりやすい(97%)。

 

どれだけ対策しても、人のシステム上いじめをなくすのは、無理だという事がわかります。

 

▪️いじめが発生しやすい空間

様々な研究結果から、

共同体主義的な空間

・聖域的な空間

では、いじめが生じやすいことがわかっています。

オキシトシン仮説のように、仲間意識と排他性が比例することを考えてもわかると思います。

これを解決するためには子供側が、同じ顔ぶれでない、いくつかの共同体を選択できる自由を作る必要があります。

学校を気軽に転校できるようにしたり、地域社会に包摂された趣味のサークル、ボランティア、NPOを活用するのもよいと思います。

しかし、このような市民社会の原理を学校に持ち込むことは、選ばれない共同体ができてしまうため、大人側の都合で難しい

 

▪️どうにもならないことはある

よく大人は上記のような解決策を明示しますが、子供側が解決策を実行できない、何らかの状況があることを見落としています。

共同体選択の自由で、リスクヘッジをすることを考える、精神的自由がないことを想像できますか?

それは上記の学習性無力感もそうですが、自分のできる全てを尽くしても、結局状況はよくならないことがずっと続くと、全てを放棄してしまう人もいるということです。

また、精神的自由については冒頭の話とも似ていますが、

家庭問題である支配親によるアダルトチルドレン問題や

健康問題である精神病・症状とも密接に関連します。

 

結局、いじめを受け入れることができるくらいの、教養が必要ということです。そうは言いますが、八方塞がりの人からすれば、そんなの無理って気持ちも分かります。その現実を悲しく思います。

 

エンターテイメントとアート①

静的な新古典主義に対して、ロマン派の定義によると、アートとは人の心に傷を付けるような動的なものです。だからアートは、美術館のような価値の担保となる箱の中にない限り、大衆からは低い評価を下されることがあります。

大衆化によって資本主義の権化になるのは選択の一つですが、アートのような特定の個人から産み出される非典型的なアイデアを必要としないエンタメは、テクノロジーで代替可能です。

AI時代において、パフォーマーやクリエイター、ミュージシャンはアーティストの側面も持っていかないと、市場原理においては価値が下がり続けることになります。

 

▪️見巧者になるために

大衆に受け入れられるエンタメは、雛型ができており、練習して技術を身につけたら、その技術を並べかえるだけの簡単なものです。(簡単とは言いますが、長い忍耐は必要です。)それらはエンタメとしては尊いが、アートとしては価値が低いことがあります。上述で主張したように、エンタメにもアートの要素は必要になっていきます。まずは、アートでかつ価値の高いものとは何なのか、を考えていきましょう。

私が考えるアートでかつ価値の高いものは、

・本質的に代替の難しいもの

・新規性の高いもの

・生産者から見た圧倒的なこだわり

現状の見解では上記の3つが、特に重要だと考えています。

 

 

▼新規性の高さについて

過去の記憶から踏襲されないレベルの新規性の高さは、得体のしれないものであり、そこが不安に繋がるのではないかと推測します。

例えば、音楽において大衆によい曲とされる、典型的なコード進行やメロディラインは過去の記憶から踏襲されて、内部表現に出力され、よい曲と認知されることがあります。

不安な曲(augのような進行のことではない)とは、よい曲でないものとも言えます。

 

▼何かを楽しむのにも練習が必要

大衆に自覚はないのかもしれませんが、典型的な商業主義のお決まりパターンを、多くの人は望んでいます。比較的、大衆が新規性を求めるお笑いですら、この傾向はあります。

見巧者という言葉があるように、なにかを楽しむにも練習が必要で、空っぽのゾンビにならないよう、精進が必要です。わたしもまだまだ未熟ですが、多分、そっちの方が楽しいです。

 

▪️あえてアートを作り込まない選択

エンタメにおいて、アートを作り込まずに観客と空間を作り上げることは、偶発性を楽しむ勇気であるとも言えます。作り込んだアートは、作者も観客も完成度を重視してしまうので、偶発性が楽しみにくい。作り込んだアートは尊いものですが、偶発性の高いエンタメもまた良いものです。もちろん、偶発性の高さが結果として、アートとなることはあります。

 

▪️アートは見える景色を変える

美術館のように、価値の担保である箱の中にあるから良いのではなく、誰から見てもアートと言える作品には力があります。それは大衆に受け入れられるものではありませんが、人の心に傷を付けて、見える景色を変えてしまうような強い力です。

 

心理テクニックに騙されないための方法

 

心理における心とは大抵の場合、脳の抽象性を上げたものです。今回は脳と心を同じものと定義して、心理テクニックに騙されないための知識を紹介します。

心理テクニックといっても、ベースとなるのは心理学です。そこで心理学とはなんなのか、もの凄く単純にした心理学の歴史を見ながら、紐解いていきましょう。

 

▪️心理学の歴史概略

19世紀、ヴントは心を各構成要素に分解し、再構成することで、心の全体像を捉えることができると考えました。これを構成心理学とし、心理学が始まりました。

 

19世紀末からフロイトによる精神分析が始まります。フロイト無意識の概念を発見し、精神分析により神経症は無意識の抑圧が原因としました。しかし、どれだけの神経症の患者をみようと、フロイトの説もいわば個人の見解であり、実験的再現性にかけるものと言えます。

 

そこで産み出されたのが、行動主義(心理学)です。ワトソンやスキナーが有名ですね。心をブラックボックス化して、客観的に観察できる部分を重視します。しかし科学的ではありましたが、個人の心を定義したとは言えませんでした。

 

そこで情報概念の導入から、台頭したのが認知科学です。心を関数(ファンクション)として扱うことで、人の心のメカニズムを解明します。

▼行動主義

入力→ブラックボックス→出力

認知科学

入力→複雑性の高い関数→出力

これからの時代を担うAIには認知科学(心理学)が必要不可欠です。しかし、認知科学(心理学)はまだ発展途上と言えますし、人の心の複雑性は非常に高いため、現状で解明と言える段階までいくのは、難しいかもしれません。

このテーマついては別の記事で紹介しています→AIと人の心の関係性を考えるということ - スマイルドーナッツの雑記

 

▪️世の中に溢れる個人には無意味なもの

心理学の歴史を紐解くと、世の中に溢れてるけど個人には無意味なものが見えてきます。

例えば「~で私は成功しました。」というハウツー本や情報商材など。これらは行動主義時代より前でかつ再現性にかけるもので、参考にすらならないことは多いですね。そもそも成功者が成功したからといって、その方法論は自分には当てはまらない可能性もあります。

 

また「嫌われる勇気」で有名なアドラー心理学も、行動主義時代より前のもので、ある意味文学とも言えます。

アドラーの「劣等感が行動の源になる」という考え方は独特で、独特であることを知らずに、盲信するのは危険です。特に日本では、儒教的なムラ社会が影響してか『感情に目的があるから、~は甘え』や『承認欲求は捨てなければならない!』という系統の発言を耳にしたことがあります。

フロイトユングアドラーも有名だからと盲信してしまう方はいるかもしれませんが、現代との相性が悪いことはあります。

その情報は、自分達がより良く生きるために必要なものであるか、批判的な姿勢で吟味する必要があります。

 

▪️心理テクニック紹介

最後に、よく使われる心理テクニックを、箇条書きで紹介します。知っているだけで、社会に蔓延る心理テクニックに騙されにくくなります。

 

ピグマリオン効果

期待された通りの結果に引き寄せられる。対義語にゴーレム効果。

▼ハロー効果

よい特徴によって、他の評価もよくなる。

▼アンカリング効果

先に基準を与えられると、後の判断に影響を及ぼす。

バーナム効果

抽象性の高い記述を、自分だけに当てはまると認識する。

▼単純接触効果(ザイオンス効果)

接触回数が増えると、親近感や好意が増す。

カリギュラ効果

禁止されてるものほど(やって)見たくなる。

ウィンザー効果

三者からの情報の方が影響が大きくなる。

▼返報の法則

何かを受け取ったとき、くれた人にお返しをしたくなる。

▼プライミング効果

先行刺激処理によって、後の刺激処理に影響を及ぼす。

カクテルパーティー効果

自分に関係がある音声情報に注意が向く。

バンドワゴン効果

多数に支持されているものに心が引かれてしまう。対義語でアンダードッグ効果

▼テンション・リダクション

人は決断した後、無防備になる。

▼サブミナル効果

短時間の知覚刺激が、潜在意識に影響を及ぼす。

ツァイガルニック効果

未完の課題の方が想起されやすい。

 

心理学の歴史を紐解くとわかるように、人は心理テクニックどうりに動くとは限りません。しかし心理テクニックを予め知っておくことで、私たちは人生におけるQOLを上げることができると考えます。

体罰によるどうしよもない悲劇を防ぐため、主張します

懲戒権は民法により規定されていますが、体罰の禁止の国が54ヶ国もあるように、最近は日本でも懲戒権の見直しが行われています。

皆さまは、戸塚ヨット事件をご存知でしょうか?体罰によって起こる悲劇を防ぐため、今一度体罰について考える必要があると主張します。

 

今回の記事は、子供の権利条約の扱いなどによっては、注釈を加える必要もありますが、ブログですので、読みやすさを重視させて下さい。

 

▪️懲戒権とは

虐待防止のため民法の一部改正(平成23年法律第61号、平成24年4月施行)がなされた。

▼第820条(監護及び教育の権利義務)
親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
▼第822条(懲戒)
親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

 

820条の「子の利益のため」というのが重要で、この解釈によって体罰を、進歩を目的とした有形力の行使として扱うことで、正当化することができます。

しかし現代における愛着障害PTSDなどの後遺症のように、現代の研究では、体罰が進歩に繋がらず寧ろ阻害すると結論づけているケースが多い。

子の特性に対して適切に進歩を促すことは、教育の素人には難しいことを考えると、親が「子の利益のため」体罰をするのは合理的とは言えません。このことから、理想としては体罰は時に必要ですが、法律で禁止するのはやむを得ないと考えます。

 

▪️権利とRight

懲戒権を考えるにあたり、『権利』とはそもそもなんなのかを考える必要があります。日本国憲法は、近代憲法として扱われると研究されていています。このため、基本的には、国が宛先と考えます。

しかし、西周が『Right』を『権利』と訳したことが、最大の過ちとは言われていますが、少なくとも成長の過程で勝ち取る権利と、生まれながらにして持つ権利は別物だという議論があります。

また、アメリカ独立宣言では

「We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.--That to secure these rights, Governments are instituted among Men, deriving their just powers from the consent of the governed,」

 

『Right』とは神から与えられしもので、人生、道義、幸福の追求が含まれる。しかしこれだと、自分勝手が許されるという誤解を生む可能性があります。このため福沢諭吉はこれに反対し、『Right』を『通義』と訳しました。

こちらの前提の場合、現代における権利という言葉を言い換えるなら、Rightというと道徳的な正しさや道理を思い浮かべるだろうから、権『理』がより正確だと主張します。力には理性が伴わなければならないと考えます。

しかし、この主張は近代憲法において、どれだけ適応されるかは、争点になると思います。憲法学における近代憲法の宛先は、国ですが、公務員でない教員の場合、どの程度適応されるか、私には判断できません。


▪️学校教育法第11条について

体罰に関する問題は、家庭だけでなく教育現場に関しても、合わせて考える必要があります。そこで、体罰に関係する学校教育法第11条に関して下記に示します。

 

「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」

また同法施行規則第13条では、

「懲戒を加える際には、児童生徒の心身の発達に応じるなど、教育上必要な配慮がいること」と定めています。

 

学校教育法では体罰が禁止されていますが、懲戒は可能です。その線引きが分かりにくいので、体罰、懲戒、正当行為に分けて、以下に示します。文部科学省のサイトを参考にして、私なりの解釈でまとめました。

 

体罰と判断される行為

身体に対する障害、肉体的苦痛を与えること

・例  正当防衛でない暴力、トイレ・食事の禁止、など

▼認められる懲戒

肉体的苦痛を伴わない懲戒

・例  遅刻で教室に立たせる、宿題未提出の罰としてとして居残りさせる、たち歩く生徒を叱り席につかせる、など

▼正当な行為

正当防衛のための有形力の行使、回避、あるいは正当と見なされる行為

・例  暴力行為を回避するための有形力の行使、暴れる生徒を押さえつける、など

 

戸塚ヨットスクールのように、体罰という名の進歩を目的とした有形力の行使が、必要だと考える団体は、この学校教育法の管轄外で活動していたと考えます。

 

▪️戸塚ヨットスクール脳幹論について

戸塚ヨットスクールでは、体罰が科学であることの根拠として、脳幹論を挙げています。しかし間脳の除く脳幹は情動制御に関わっていないので、トンデモな可能性があります。ちなみにローレンツ人間性の堕落を提唱しています。

 

▪️体罰は法的に禁止すべきか

体罰は進歩を目的とした有形力の行使の場合、児童との相性によっては必要となることもあります(脳幹論の根拠は薄いが、結果がでたケースもあります)。

しかし体罰自体の難易度が高く、免許があるわけではないので、体罰と虐待の区別を教育者自身ができないことは多いです。人が亡くなれば大事にはなりますが、その裏には数多くの被害者がいます。(虐待をする加害者も実は被害者であるとも言えます。悲しい話です。)

どうしよもない悲劇を見逃さないため、最低レベルに合わせて、体罰の全てを禁止することも、視野に入るのは必然です。

また、日本人は先天的にセロトニントランスポーター(5HTT)が少なく、不安になりやすい(97%)ことを考えます。これは一例ですが、他国が禁止だから日本も禁止ではなく、日本人の特性を考慮して、体罰と向き合う必要があると主張します。