恋愛の本質について考える
辞書的な意味でない、現代における恋愛の本質とは何なのかを考えた。
社会背景に大きく依存するものから順に並べてみる。
■社会の通過儀礼
お見合い結婚主流の時代は終わり、自由恋愛からの結婚が主流である時代では、恋愛をして結婚することが、一種の通過儀礼として扱われるようになった。恋愛することを善とすると、しないことは悪になる。このため、社会の圧力から無理して恋愛をする者もいた。
■メディアの影響による同一化
TVドラマ映画の恋愛から、憧れて真似する方々。恋に恋をするというのもこのことか?精神分析における同一化である。
■ポジショニング
コミュニケーションなどで、自身のポジションをとるための戦略的恋愛。
■打算
昔あっしーとかめっしーが流行ったが、お金目的のような、いわゆる自身の利益のための恋愛。
■効率化
自身の足りないものを補い合い、効率化する。
■脳の化学反応
一目ぼれはこのパターンが多い気がする。神経伝達物質であるドーパミン、セロトニン、オキシトシンとかの仮説のこと。作用機序知りたい方はググりましょう。いわゆるドキドキとかキュンキュンは大体これ。
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若者の恋愛離れが加速している。通過儀礼としての恋愛の衰退、お金がない、女性の地位向上あたりが理由だろう。基本的に恋愛は社会背景に大きく依存する。
社会背景に依存しないものを恋愛の本質と考えるなら、残るは実益と脳の化学反応か。そんなもんかね。まあ人生の本質にも似てるが。
脳の化学反応か。そんなもんかね。って言い方は唯物論(精神の根底は物質であるといった考え)支持者っぽい。唯物論はよく支持されるけど、絶対ではないのです。量子力学筆頭に物理の世界での異論は、なかなか面白い。
最後に、一つ怪しいものを加えて終わりにしましょう。
■恋愛のイメージが現実に干渉する
恋愛のイメージが、意識レベルで波動として伝わり、現実に干渉する。かも。
量子力学はよく分からんけど(正直まだまだ不完全な学問に見える笑)ロマンがあっていいね。
人に投資をすることのすすめ
他人を変えることは難しいので、
他人に期待しても、あんまりいいことはない。
他人に期待するから、がっかりする、失望する、ストレスだ。
他人に期待しなければ、がっかりしない、失望しないし、ストレスも受けにくくなる。いいことづくめだ。
だから僕は自分の能力と物に力を入れてきたが、期待をしないなら人に投資することもよいと思うようになった。みなさんにも人に投資することで、助け合える関係性を増やすことをお勧めします。
お金をかけるのもよいし、教育という投資でもいい、食事でおごるのも投資と考えられる。
いくら投資をしても、恩着せがましい人間からは人は離れていく。『あなたのためにしてあげたんだから感謝しなさい』ほど美しくない言葉はなかなか見つからないだろう。
期待をしないというのは、見返りも求めないということだ。そういう、ラフな関係性が人を引き寄せる。
人間は読んで字のごとく、支えあって生きている。なんだかんだ、一人では生きていけないのだから、助け合える関係性は多いほど良い。
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ちなみに僕は下の世代の、メンタル面も含めた技術指導という投資に力を入れている。現状では芽が出なくとも、後のことを考えると、膨れ上がる個人の価値に投資するのは合理的だ。
昨今の日本では、まだまだ貯金をすることがよしとされる風潮があるが、経済的にも、人間の関係性という観点からも、リスク分散の観点からも、人に投資をしていくことを、よしとすべき風潮を作っていかなければならないと思う。
1万時間かける対象は、しっかり考えて選んだほうがよいのでは
1万時間の法則って知ってます?
結構有名な法則なんですが、1万時間やればその道のエキスパートになれるだとかなんだとか。
僕はこの法則を知る前から、好きなことには打ち込むタイプだったので、様々な能力を持っています。しかしながら、多くの時間をかけてもその道のエキスパートにはなれなかったことのほうが多いです。実際、1万時間かけたところでそこそこどまりの人は多い。
時間をかけてしまったことによる後悔。苦い過去です。
格言っぽく『その道のエキスパートになるには1万時間打ち込むこと』と、1万時間の法則の解説をすれば、それなりに納得しちゃう人もいるかもしれません。打ち込んでいる人が、打ち込むことを肯定されれば、妄信してしまう人もいるかも。
そもそも1万時間かけても、打ち込むものによってはエキスパートはおろか、そこそこにすら到達できないこともある。最悪、打ち込んだ意味すら、なくなってしまうこともあるのではないか。
僕のような苦い失敗をしないためにはどうすればよいのか。列挙。
■自分に向いてることを選ぶ
人は自分の弱みよりも、強みを生かすことで最大の能力を発揮するらしい。自分の才能に自覚的になること。ストレングスファインダーとか有名なので、そうゆうのやってもいい。(回しものじゃないですよ笑)
■相対的に比較されにくいものを選ぶ
本気でやってる人が多いジャンルは、競争が大変。1万時間程度じゃそこそこにすら到達できない可能性がある。革新的、新規性の高い(先行技術のものでない)ものほど、打ち込んだとき、客観的な価値が高まる。
■需要がある、作れるものを選ぶ
自己満足ならいらないけど、たいていの人は承認欲求があるから、認められたいものだと思う。
■歴史を学ぶ、未来を予測する
賢者は歴史に学ぶので(愚か者は経験に学ぶってのは状況による)。歴史から、未来を予測し、選択する。
■人にしかできないことを選ぶ
AIのシンギュラリティー(技術的特異点)によって、今まで人にしかできなかったことが、AIに代替されるようになる可能性が高い。今まで打ち込んだものが、そもそも無意味になることもある。
1万時間をかけて、その道のエキスパートになることを、良しとされることが多いのは、現代の教育がスペシャリスト育成に力を入れてきたことに、関係があるような気がします。
状況によるので、断定はできないが、エキスパートになれる人は少ない。これからの時代は、リスク回避の観点から、盲目的に時間をかけるのをよしとするのは危険であると思うのです。
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たまには宣伝でも。
僕は人の反応を分析するのが好きなのですが、ことパフォーマーにおいて言うならば、3日くらい必要な練習をしていただければ、最低限の必要な技術を身につけられると考えました。
この分析もAIのディープラーニングで代替されると思うので、価値はなくなると思いますが、3日でパフォーマー名乗れます!パフォーマーに資格はないので、名乗ったもん勝ちですよええ笑
パフォーマーになりたい方いらっしゃいましたら趣味でプロデュースするので、興味がある方は連絡下さい!まあ趣味なので暇なとき限定で、、
勉強、練習、仕事 やってるふりをする人の気持ち
以前より成果主義が重んじられるようになり、勉強、練習、仕事 をやってるふりをしている人がたたかれるようになってきたように感じる。
僕にもやってるふりをしていた時期があった。(親が見てる時だけ勉強みたいな笑)
成果主義自体は、社会のために推すべきだと思うけど、やってるふりをしている人が、たたかれているのは耳が痛い。
どこを見ても、やってるふりをしているorいた人の主張が少ない!ので!
今回は仕方なくやってるふりをしてしまっている人に焦点を当てて、お話します。
※プロセス重視の場所で、戦略的にやってるふりをしている人は除く。
やってるふりをしている人に対して、腹を立てる人もいる。人は分からないことを不安に感じ、ショックを受けるものだ。(防衛機制)そもそもなんでそんな事をするのか、考えられることを列挙していきます。
■環境
家庭、学校、職場で、結果よりも手段(努力)を見せることが重要視された
■そもそも
対象が嫌い、興味がわかない、向いてない、やる気が出ない、やりたくない、自信がない
■それでも
怒られるのが怖い、ほかに逃げ場がない、認められたい、嫌われたくない
→結局人間関係
こうして思考停止に陥って、八方ふさがりになる。やってるふりとかいう意味不明なことをしだすのだ。解決策はないのか。基本的にはない!が、一応。
■プロセス重視の考え方の恐ろしさを教える
そもそも努力すること、我慢することそのものが重要だと思ってる人には効果的。やってるふりをする事が、あらゆる面で不利益を被る可能性が高いことの説明。あくまでも結果が目的なのであって、プロセスという手段を目的だと勘違いさせないようにする。
■実は逃げたっていいことを教える
思考停止で八方ふさがりになってしまっている人には効果的。実は逃げたっていいことの説明。いまは勝てない相手だから、とりあえず逃げて、逃げた先で戦ってみる。強い敵にはいずれ勝てればいい。
■失敗から学ぶことの大切さを教える
失敗を恐れて、いろいろごまかしてる人には効果的。失敗したっていい、失敗せずに成長することはないことを教える。
■放っておく
まあ基本的にはこれしかない。そのうち勝手に土俵から消えるので、別の場所で活躍していただくことを祈る。
自分で言うのもなんですが、やってるふりをしてる人って辛いんです。気の毒なんですよ。
だからこそ、やってるふりを良しとしてはいけないのです。
色々悩みはあるかもしれないが、全然気にしなくていいんです!
『他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられる。』
って心理学者の発言を思い出す。まあ今回の記事には、ほとんど関係ないんですけど。
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わたくしはスーパーおっせかいな、おじさんなので、他人に干渉しまくるときがある。
あらゆる場面で聞かれてもないのに、社会が作り出した価値観による悩みを『気にしなくていい』と主張している。
嫌われてでも主張したい『気にしなくていい』ことは、意外と社会では気にされている。大抵のことは歴史を見ると、気にされている理由がわかるのですが、それでも気にする人が多いのは、目先の情報に振り回されてる人が多いからなのか。
いくつか挙げさせてください。
■変えるのが難しい悩み
チビデブハゲブサイクとか、持って生まれた才能。厳密には頑張れば変えられるけど、果たしてそこまでする価値はあるのか。頑張って変えても、変えたことを否定する人はなんなのか。そもそも社会が重要だと錯覚させているだけではないのか。
■他人と比較したうえでの幸せ
家車、学力能力仕事の成果、ちょっと変えるのが難しい悩みと、かぶってるけど、そういう他人と比較したうえでの幸せでは、満たされることはないそうだ。これも実は社会が重要だと錯覚させているだけではないのか。
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日進月歩でテクノロジーは進歩して、情報にまみれることで、社会の洗脳から解け始めている人が増えている。昔と比べて、意図的に流行や文化を作り出すことが難しくなった。今後は、細かな価値観を自分で選択する時代がくるかもしれない。
そうなってくると、今まで社会が作り出した価値観なんてのはどうでもよくなる。僕は社会が作り出した価値観による悩みを『気にしなくていい』と主張してきたが、今の悩みは、将来、自動的に気にしなくなる時代が来る。
以前、こんな記事を書いたが、人が人らしく生きることが、できる時代が来たとき、今までの価値観はどうなるのか。
実のところ、AI時代は、人である必要もないかもしれない。努力とか才能とか、そういったものはどうでもよくなる。どれだけ優れた人間でも、替えが見つかるからだ。
時代の変化は加速していくが、人間の悩みは尽きないだろう。
僕はどんな時代が来ても、どんな悩みに対しても、『全然気にしなくていいんです!』といえる、スーパーおっせかいな、おじさんでいつづけたいと思う。今のところは。